11月8日に開幕した全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2019はいわきFCの優勝で幕を閉じ、JFL昇格が内定した。4年前に福島県2部(実質8部)からスタートしたいわきFCは、いよいよ全国リーグに挑戦することになった。一方で、いわきFCはJFLやJリーグの要件となっている天然芝のホームスタジアムがないという問題点を抱えている。この問題を大倉智代表はどう考えているのか? そこには、日本のサッカー界に一石を投じることになるかもしれない、“フットボール伝統国では当たり前” のスタンスがあった。 「ついに」と言うべきか、それとも「やっと」と言うべきか、いわきFCが全国リーグに到達した。地域リーグからJFLに昇格するために、避けては通れない狭き門。それが全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)だ。東北リーグで無双を誇るいわきは、大会初出場ながら、その狭き門を軽々と乗り越えてしまった。私自身、
11月14日、日本代表は敵地に乗り込みキルギス代表と対戦する。8年ぶりの対戦となった前回のタジキスタンとは違い、ちょうど1年前にホームでの親善試合で4-0と一蹴しておりタジキスタン程の不気味さはないかもしれない。ただそのタジキスタン戦でも最終的なスコア以上に苦しめられたように、未知なるアウェイでの一戦は一筋縄ではいかないもの。 2022年W杯カタール大会/2023年アジアカップ中国大会アジア予選でグループ2位につけ、次ラウンド進出へ死に物狂いで日本から勝ち点を奪いにくるであろうキルギスの国内事情やサッカーを取り巻く状況について、篠崎直也さんに解説してもらった。 文 篠崎直也 前節のタジキスタンに続き、再び中央アジアに乗り込んだ日本代表の次なる相手はタジキスタンの隣国キルギス。FIFAランクは現在94位だが、2013年3月には201位まで落ち込み、以前はアジアでも最弱国の1つだった。それがわ
ラグビーワールドカップ(W杯)で日本代表は20日、準々決勝で南アフリカに敗れ、ベスト8で今大会を終えた。しかし、プール戦で欧州の列強、アイルランド、スコットランドを破り、初めて決勝トーナメントに進んだことにより、ラグビーの競技特性やその精神性に注目が集まった。そんな追い風を受けながら、今後は2021年のプロリーグ化にむけた動きにスポットライトがあたりそうだ。 ラグビーW杯 松ちゃん似の中島イシレリ「可愛すぎる」秘話 プロリーグ構想を主導する日本ラグビー協会の清宮克幸副会長は7月28日、都内のシンポジウムで講演した際、プロ化が成功したことによって選手が手にしてほしい年収についてこう明かした。 「(バスケットの)Bリーグのような1億円プレーヤーが生まれてほしいし、さらに(年俸)5億円、10億円という選手が生まれることは、子供がそのスポーツに憧れるためにも重要」 では、現役のラグビー選手はいった
日本ではまだ“タトゥー”に対してネガティブな感情を抱く人が多い現状がある。 ラグビーワールドカップ2019日本大会に出場する各国の選手たちに対して、ラグビーの国際統括団体ワールドラグビーより日本では“タトゥー”を隠すよう指示があったという。「日本の文化を尊重する」と選手側から反発する意見はほとんど出なかった中、日本では賛否両論さまざまな意見が飛び交った。 海外のクラブで4シーズン目を過ごす日本代表選手でありながら、タトゥーが理由で日本では「個人スポンサーはまずつかないでしょうね」と言い切る小林祐希は、どのような想いで体にタトゥーを刻み、そしてタトゥーとともに生きる現在をどう感じているのだろうか? ――タトゥーを入れたきっかけを教えてください。 小林 もともとタトゥーに興味はあって。ロサンゼルスに住んでいるHIROさんというアーティストの方がいて、「タトゥー入れたいです。入れたい内容ももう決
レベッカ・シールズ、BBCニュース(東京) シャー、シャー、シャー……。彫師の彫みつ(ほりみつ)さんにとって、入れ墨を入れる刺し棒の音は軽くてリズミカルで、1匹のコオロギが鳴いているみたいに聞こえる。 東京・池袋で30年間、手彫りで入れ墨を入れてきた。使うのは、インクと刺し棒だけだ。 手彫りで入れた日本古来の神々や竜といった入れ墨は、銀行員やバンドマンの背中で生き生きとしている。腕や脚の上では鯉(こい)が飛び跳ねる。 この日は、炎から守ってくれる翡翠(ひすい)色の竜が、数千マイルの距離を移動して日本までやってきた若い消防士の腕で燃え上がる予定だ。 カイル・シーリーさん(23)は、彫師が自分の上腕三頭筋に完璧に一定の間隔で針を刺す間、静かに仰向けになっている。肩から手首にかけて、立派な竜と、幸運や崇高を象徴する牡丹の花が彫られていく。 シーリーさんが暮らすカナダ・アルバータ州グランド・プレー
今や「カレーの街」としてすっかりおなじみとなった神田神保町。神保町を中心とした神田界隈には、400店以上のカレー提供店が軒を並べる。これだけ多くの、そして多様なカレー店が集まる街は、世界でも類を見ないといわれる。 この記事の写真を見る なぜ神保町はカレーの街になったのか。そこで、過去の雑誌をさかのぼり、いつ、どのようにして神保町が“カレー街化”したのかを探ってみた。すると、予想外の歴史がそこから見えてきた。 ■本を片手にカレー? 神保町がカレーの街となった理由としてよく挙げられるのが、「買ったばかりの本を片手に読みながら食べるのに、カレーはぴったりだった」という説だ。 神保町界隈には、明治時代から多くの学校が集まり、学生街として発展した歴史がある。それに伴い、早くから書店街が形成され、現在も150店以上の古書店が集まる。これは本の街としては世界一の規模だという。なるほどそんな街ならば、すぐ
いつのまにか聞かなくなった「ユニバレ」という言葉。いまや、ユニクロを着ていることがバレるのを恥じるどころか、そのアイテムを使ったスタイリングがインスタグラムなどのSNSで日々発信され、ネットメディアの「使えるユニクロ」の記事は高PVを稼ぐ。 ヤフーの「ZOZO買収」のウラで…孫正義が描く「恐るべき戦略」 ユニクロを着る意味は、ここ数年でどのような変化を遂げたのか。 新書『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』(幻冬舎新書)で、ユニクロが日本の「国民服」となった理由について社会学の観点から読み解く甲南女子大学教授の米澤泉氏と、ユニクロやワークマンなどのプチプラアイテムをおしゃれに着こなすことをロジカルに教えるブログが人気で、そのメソッドを綴った『最速でおしゃれに見せる方法』(扶桑社)がベストセラーとなったファッションバイヤーのMB氏の二人に、ユニクロの普及とともに起きた日本のファッ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く