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  • 広島原爆の日:元米兵「ヒバクシャの心学ぶ」 - 毎日jp(毎日新聞)

    折り鶴を手に記念式典に参加するトム・カーリンさん(中央手前)ら「ざんげの旅」のメンバー=広島市中区の平和記念公園で2009年8月6日午前7時13分、貝塚太一撮影 オバマ米大統領が核廃絶を目指すと宣言したことで、これまでになく希望の光が差す中で迎えた64回目の広島原爆の日。広島市中区の平和記念公園には各国から平和を目指す人たちが集まり「ノーモア・ヒバクシャ」の誓いを新たにした。一方、未曽有の惨禍が被爆者の心身に残した傷跡は今も深く、自宅で静かに鎮魂の祈りをささげる姿もみられた。 平和記念式典に折り鶴を持参して参列していたのは、原爆投下をざんげする旅で訪れた米ワシントン州タコマ市などの牧師らの一行17人。発起人の一人、トム・カーリンさん(73)は、元在日米海軍の下士官。長崎原爆資料館で初めて見た被爆者の恐怖におののく表情にショックを受け、20代初めに除隊した。 トムさんは、秋葉忠利・広島市長が

  • 広島原爆の日:太陽見ると悪夢よみがえる - 毎日jp(毎日新聞)

    「ギラギラした日差しが怖いんです」。広島市中区広瀬北町の主婦、渡部芳枝さん(81)は6日、平和記念式典を放映する自宅のテレビの前で手を合わせた。64年前、原爆がさく裂したのは太陽が照りつける空だった。あれ以来、直射日光を浴びると悪夢がよみがえり、式典への出席もずっと控えてきた。「あらゆる戦争をなくしてほしい」。祈るようにつぶやいた。 広島赤十字病院の看護学校寮(同区千田町1)で被爆した。爆心地から約1.5キロ。建物ごと吹き飛ばされ、がれきの中からはい出した。幸い切り傷程度ですんだという。 病院に顔を出して驚いた。皮膚が垂れ下がっている人、目玉が飛び出た人……。瀕死(ひんし)の患者であふれていた。手当てに走り回り、夜は遺体を焼く手伝いもした。自身も髪が抜け微熱が続いたが、約3週間、過労で倒れるまで働き続けた。 太陽を見ると、そんな光景がフラッシュバックするという。「目標を持って生きれば嫌な記