20代の頃は、同世代のみんなと一緒に、成長できる気がしていました。 でも30代になると、これからもどんどん成長を続けるだろうなと感じる人と、たぶんもう難しいだろうな…と思ってしまう人が残酷なまでに分かれてきます。実際、そのほとんどが予想どおりになります。それは私に人を見極める目があるのではなく、ただ違いがわかりやすいだけです。 何がどう違うか? それは、面倒なことから逃げる人と、逃げない人との違いです。 映画監督の宮﨑駿さんも「プロフェッショナル 仕事の流儀」の中で、「大事なことは大抵面倒」とおっしゃっていましたが、本当にそのとおりだと思います。 自分の未来につながる仕事も、自分を磨くための勉強も、大抵は面倒で逃げたくなる。逃げたくなるけど、大事なことだから…と歯を食いしばって続ける人は夢を叶えて、逃げてしまった人はきっと自分に言い訳を続けて、人生が終わっていく。 そう、面倒から逃げるか逃
読みまして。 老害のたわごとだと思って読んでいただければ幸い。 夢を否定する人たちとのつきあい方 「夢」という言い方が、個人的にはすごく嫌いです。いきなりですみません。しかも言い方だけの問題なので、アレなんですが。 「夢」を語るのはとても素敵なことだと思うけれど、それを実業にしていこうとするならば、「夢なんです」という言い方は即刻捨てるべきかと思います。自分のやりたいことで生計を立て、世界を変えようとするのであれば、それは「夢」ではなく「目標」だから。そして「目標」は達成に向けて期限とタスクが設定されるもので、そこが決まれば、あとはやっていくだけ。そこまで来てしまうと、外部に語る必要はなくなるんです。 村上龍が「目標を持つのは基本的に憂鬱なことだ」と言っていましたが、実際にすべきことと期限が見えてしまうと、あとはそれに向けて実務をこなしていくだけになり、「夢なんです」と楽しく語っている場合
何かをはじめるときに大切だと思っているのは、いつ、どうなったら「やめる」かを、ちゃんと考えておくこと。 「やめる」には、いろいろあります。 ここまで業績が悪くなったら「やめる」というやめるもあれば、ここまで業績が伸びたら、あるいは人が育ったら、次のステージに行くために「やめる」もあります。 誤解されそうですが、これは「続ける」ことを否定しているわけではありません。私が尊敬する多くの職人さんたちは、生涯をかけて挑戦と努力を続けています。そんな生き方を否定できるわけがありません。むしろ、憧れます。 でも、です。 どうなったら、廃業するか。あるいは、どうなったら、自分が職人だけであり続けるのはやめて、後継者の育成に着手するかなど、ポイントを決めておく必要がある。つまり、こういうことです。 何よりもダメなのは、ズルズルと続けること。 やめるポイントがまったく見えていなくて、「時すでに遅し」という状
勉強しているのに、成長が実感できない…。 努力しているのに、結果がついてこない…。 そんな歯がゆい思いをしている人は、決して少なくないと思います。私も20代の頃はずっと、「どうして自分のイメージどおりに成長できないんだろう?」と、モヤモヤしたものを抱えていました…。 それが30代になり、少しずつ解消できるようになりました。自分の行動をほんの少し変えてみただけで。 たとえば、本。 それまでは「役に立つ」「学べる」「面白い」と聞いた本を、片っ端から読んでいました(これも今となっては、とても貴重な知識にはなっているのですが…)。 それがあるときにふと、「結局、書いてあることは、どの本もあんまり変わらないな…」と思ってしまい、それなら自分のお気に入りの1冊を何度も読んだほうがいいと考えるようになったのです。そう、1冊を、最低5回は。 それ以降、本から得られる知識の密度が変わり、本を読むという行為か
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