昭和14年8月、陸軍大将の阿部信行を首相とする内閣が成立し、10月には価格等統制令が公布された。日中戦争の影響で生活物資が不足したことによる物価高騰を抑えようとしたが、逆に闇取引が横行し、物価の高騰を抑えきれなかったといわれる。 ドイツ留学でハイパーインフレーションで市民生活が苦しめられた窮状を見た世耕弘一には、この価格等統制令で物価が上がることは許すことのできないことだったとみられ、弘一は当時属していた政友会正統派の機関誌「立憲政友」(15年1月刊行)で「諸事統制廃止之事(しょじとうせいはいしのこと)」と題する文章を発表している。 ただ、これは国家総動員法に基づく統制経済を批判したとして、刊行直後の1月13日に削除処分を受けている。削除が徹底されたためか、全文は確認されていないが、弘一の生涯を研究する近畿大学名誉教授の荒木康彦が、処分を記録した警保局図書課「出版警察報」第125号に抄録さ