当サイトでは、サイトの利便性向上のため、クッキー(Cookie)を使用しています。 サイトのクッキー(Cookie)の使用に関しては、「プライバシーポリシー」をお読みください。 ガダルカナルに大和を投入すれば ミッドウェー海戦に敗れた後、日本は反攻に転じたアメリカと、ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って死闘を演じた。昭和17年8月から翌18年2月までの半年間のこの戦いにおいて、日本は圧倒的物量を誇るアメリカに消耗戦を強いられた挙句、撤退を余儀なくされる。 この間、大和はトラック島に進出していながら、ガダルカナルの戦いに投入されることなく、「大和ホテル」と椰輸されるほど無為に碇泊する日々を送っていた。もし、大和が初期のヘンダーソン基地砲撃から戦闘に加わっていれば、戦局は大きく変わっていただろう。 昭和17年10月、陸軍はガダルカナルへの高速補給船派遣を決定。海軍はそれを支援すべく、アメリカ