「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。
日本最強の広告クリエイティブを率いる岡康道氏と、希代のコラムニスト、小田嶋隆氏、ふたりは高校の同級生だった。「伝達」を生業とする旧友が台本抜きで論じるコミュニケーションの技術論トーク、それが「人生の諸問題」。おまたせしました、3月7日「地デジ」と「カンヌ」と「ギャンブル」と以来の「人生の諸問題」再開です。編集部側の諸事情で大変時間がかかってしまいましたこと、お詫び申し上げます。今回からしばらく、岡さん、小田嶋さんがそれぞれ作った広告、書籍についてのお話をお送りします。これまで同様、ゆるゆるとお楽しみ下さいませ。(編集部) 岡 面白いんだよ、これが。実は高校時代に読んだとき、こんなつまらないものはあり得ない、と思って何も覚えていなかったんだけど、今、読み直してみたら、何でこんな面白いものをつまらなく感じたんだろう? というぐらい面白くてさ。 小田嶋 俺は中2のときに『罪と罰』を読んで全然分か
そういえば最近、「さようなら」と言ってないなあ。 本屋でこのタイトルを目にしたとき、まずそう思った。友人と別れるときは「またね」か「じゃあ」で済む。仕事関係の人ならば「失礼します」や「お疲れさまです」。束の間の別れに「さようなら」は、ちょっと重すぎる。 「さようなら」という挨拶に決定的な別れをイメージしてしまうのは、私だけではないだろう。 じゃあ「さようなら」を口にする場面って? 辛うじて想像できるのは、男女の別れ際くらいなものだが、いまや心の中で「さようなら」と呟きこそすれ、実際に口に出して関係を解消するカップルは少ない気がする。 交通手段も発達してどこへでもさほど時間がかからずに行けるし、遠く離れていても携帯やメールでいつでも連絡が取れる。ブログやSNSを頼りに、過去の友人知人の動向を知ることだってなきにしもあらず。そんな時代に生きる人間にとって、もはや決定的な別れを意識する瞬間など滅
先日、作家の五木寛之さんと対談する機会があった。 憧れの人と対面すると「自称プロ」でもこんなに舞い上がるものだ−−という事例を目の当たりにしたい方は、私のホームページにあるポッドキャスティングをお聞きになることを勧める。こんなことであなたに勇気と自信を与えることができれば本望だ。 さて、これより本論。今回は五木さんから学んだ「対人コミュニケーションの極意」をお伝えしよう。 「声で触れられているようだ」 「話し言葉は活字と違って、肉声そのもの。単なる意味の伝達ではない」 これは、五木さんのよく口にする言葉だ。私も大いに共感する。五木さんは大作家であると同時に「偉大なしゃべり手」でもある。これまでもラジオを自分の舞台として大切にされてきた。 現在は、毎月最終日曜日早朝4時頃から、NHKラジオ深夜便「わが人生の歌語り」という番組に登場している。日曜朝6時からの生放送を担当する私は、丁度この時間に
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