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ブックマーク / jo-30.hatenablog.com (4)

  • 増田に書いた教育系ネタが広がりすぎて困惑している件 - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)

    増田に書いた教育ネタについて、真面目に書こうとすると話が広がりすぎて増田で書けば迷惑になるレベルに達してきたので、こちらに場所を移すことに。 とりあえず以下返答。 (1)「教育って福祉?サービス業?」 について。*1 「教育には金をかけすぎている」→事実誤認。根拠は既述。 「45人学級の頃は日の学力水準が世界でも上位水準」→そんな調査も結果も無い。 「他の地域が35人学級で、他の地域と同程度の学力を達成するために大阪は25人学級にしなければならないってのは、それは解決方法としてナンセンスでしょ。」→他の地域は40人で大阪は35人。「クラス定数」と「クラス平均人数」を、橋下と同じく混同してる。/大阪が教師の数を増やしていたのは「増やす理由/必要があったから」であって、その理由が解決されていないのに「試験の点数」という結果だけを問題にして35人学級を批判してどうするの? 「45人学級が35人

    増田に書いた教育系ネタが広がりすぎて困惑している件 - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)
    showgotch
    showgotch 2010/08/19
  • 体罰論…というか、どう見ても皮肉 - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)

    体罰は教育でしょうか? 少なくとも、現在の法律下では完全に否定されている*1にも関わらず、歴然と現場には風潮として残されているのが「体罰」や体罰信仰です。だからこそ、引用先に引用されてるような信仰告白ブログ(「体罰の会」!)が登場したり、下の引用先(「女教師ブログ」"体罰は教育ですか?−オフコース、イエス!")のようにそれを皮肉ったエントリがいつまでも書かれることになるわけですね。 もちろん体罰には、すぐれた教育効果が存在する。殴られるのが怖ければ、必死で頑張る子どもがいるのだから。殴打の恐怖におびえながら百マス計算をものすごい速さでこなしていく子どもたち。なんてシュール。 ただし、最悪の事態(つまり事故)が起こってしまったら何の意味もない。そこで教育可能性は終わってしてしまうからだ。だから体罰をするときには「最悪の事態を回避するシステム」が必要となる。 そのシステムは、例えば、第三者が監

    体罰論…というか、どう見ても皮肉 - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)
    showgotch
    showgotch 2009/09/16
    教育効果をどう定義するかによります/体罰論の本質は制御欲求と私刑論。社会に合わせて人格を制御する、そういう意味で暴力と教育は地続きだ=連続だということでしょう/ http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20090914/1252943288
  • そろそろ「『現代文』授業の『意義』」とか語るのはやめにしないか? - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)

    国語の授業とか読書って、この国で教養主義が堕落して以降、急速にそのオーラを失ってきました。 国語の大切さは誰でも共有しているじゃないか、と言われるかもしれませんが、国語の授業をイカサマじみた『方法論』で語る傾向はあとを立ちません*1。出版不況と言われながらも、新刊の数や屋の数は多いじゃないか、という向きもあるかもしれませんが、5年経ったら価値がなくなる(ブックオフで一山いくらでしか売れない)ようなものは、そもそも紙媒体というメディアで残す意味のないものです。ネットにタダで置いてあっても誰も読みそうにもないその手の情報は、一応値段をつけるために印刷して出版してはいるものの、来は『書籍』と呼ぶこと自体おこがましいです。要するに、一見栄えて見えていても、その内実は薄っぺらで、およそ底の浅い「隆盛」ぶりだということができるでしょう。 イデオロギーやポリシー、あるいは宗教といった言葉が嫌われる現

    そろそろ「『現代文』授業の『意義』」とか語るのはやめにしないか? - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)
    showgotch
    showgotch 2009/08/18
    うーん、おまえは強者だからその必要性を自覚できないという論理
  • 日本におけるリテラシー教育の不可能性 - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)

    以前どこかで書いたつもりでいたけれど、調べると書いていなかったので、メディアリテラシーと教育について、まとめ&覚え書き代わりに書く。 まず、(1)ワードとエクセルで生徒を遊ばせれば「情報」教育だとか思ってる人々はちょっと置き去りにしておきたい。そんなものはコンピューター(というかソフトウェア)の活用練習に過ぎない。また(2)ニュース映像やコマーシャルの分析をして「メディア・リテラシー教育」と言ってる人たちも、それはそれで大切なことだと思うがちょっと問題としては枝葉に属するのでまあ置いておく。映像メディアは確かに分析素材としては面白いし諸外国で行われているその手の授業が成果をあげていることも重要なのだが、それらは当は他の教科で知らず知らず行われているもっとおおきな「リテラシー教育」をベースに成り立っているので、それを理解せず日に持ち込んでもおそらく失敗せざるを得ないと思う。 自分が取り上

    日本におけるリテラシー教育の不可能性 - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)
    showgotch
    showgotch 2008/06/15
    今見ても良エントリだなー
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