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ブックマーク / freezing.blog62.fc2.com (2)

  • 坂のある非風景 一瞬の輝きに乱反射する池の畔で離合するのは

    「株価って何」(内田樹の研究室)という記事に紹介された抗議のメールは教訓的だった。たしかに事実は「貴殿がなぜ私の研究分野に土足で踏み込んできて、このようなガセネタをバラ撒いていくのか理解に苦しむのですが」と書く、やせた土地をゆいいつの領土として守る、さみしい研究者のためにあるのだろう。しかし土足で踏みにじられたときに真理が発動したのである。ガセネタと対決した瞬間に、それまでただの収集した歴史的事実にすぎなかったものが真実として輝きはじめたのだ。 真は侵犯が支えるということだろうか。それどころではなく、真理は侵犯が作り出すのであり、その運動こそが真理の作為ではないだろうか。動くこと、自分で自分の領土を否定すること。後期マルクスによる前期マルクスへの侵犯、後期フロイトによる前期フロイトへの侵犯こそが(尤も、最も真理に近いものと敵対しようとしたら過去の自分だったというわけだが)、真理の生成劇だっ

    showxx
    showxx 2008/11/13
    “権力がその権力への抵抗を生むように、欲望がその欲望を妨害するものへの欲望を掻き立てるように、信は自身への不信を生み続ける。”
  • 坂のある非風景 : 愛することは失い続けることなのか

    「さて失恋から立ち直るためにはその原因についてあれこれ考えないようにするのがいちばんで、具体的にはどうすればよいかというと」と、書きはじめられている。 彼または彼女と歩いた道を、一緒に行ったレストランを、よく聴いた音楽を、相手を思い出させたり連想させたりする一切のものを避けること。もう彼または彼女からかかってくることなどない(でも、かかってくるかもしれないという希望を捨てきれない)携帯電話も新規で契約し直したりとか。まあ、こんなこと書かずとも、みんな知っていることばかりか。 そして自分が失ったのは愛ではなくて一人の人間なのだと思うこと。 そうなのか、失恋は、まるで災厄のように考えられているのかということに、改めて気づかされる。たしかに忘れることは、私が私の過去とともに生きるひとつの方法である。そして忘れようとすることは、その過去への強固なしがみつきを表している。だとすれば、けっして忘れない

    showxx
    showxx 2008/11/13
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