山岡 松岡洋右が「日本人の通弊は潔癖にあり」と喝破した手紙を前回ご紹介しましたが(前回の記事はこちら)、物事をできるかぎりそのまま受けとめるのではなく、「誰かのせい」「悪いのはだれ」とつい考えてしまう社会的なクセは確かにありますよね。現前の制度の矛盾や、なぜそうなったかを「歴史」の目で考える前に。 例えば加藤先生が『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で触れられた、戦前の満州移民の方たちの悲劇は、そうはいっても、その人の決断の結果であろうとか、あるいはソ連軍の侵攻、関東軍の無責任、という話にすぐつながるのですが、先生の本を読むと、背景には国の助成金がある。 加藤 満州の実態が「王道楽土」などではないとわかってくるにつれ、移民希望者も減っていく。それを補うために国や県が、移民すれば村の道路整備を補助金でやってあげますよ、と言うわけですね。いわば、カネで移民を釣ったわけで、その達成度を出先の機