という疑いを持っています。その疑いを感じたのはつい先ほど。今年はどんな年にしますかと聞かれた際に何も考えずほぼ脊髄反射にて「飛躍の年にします」と自分が答えた、正にその瞬間。 ふと去年も同じように回答していたことを思い出し、正直、自分が恐ろしくなりました。2016年も「飛躍の年」にすると言い、そして2017年も満を持して「飛躍の年」にすると言う。振り返れば、2015年も2014年も2013年だって「飛躍の年」にしようとしていた気がします。 毎年、何も考えずに闇雲に「飛躍の年」にしようとするこの「飛躍一辺倒」な大空を目指すスタンスは、これはもうホモサピエンスというよりはカササギ、シラコバト、ハシブトガラスと言った鳥類に近い発想と言えるのではないか、そんな気がしてなりません。 だいたい、「飛躍」という言葉を、自分は何となく大きく高く飛び上がること、即ち「急成長」というような意味合いで使っているの
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