手術か経過観察かを選ぶことになります、と医師は告げた。よし、手術しよう、とわたしは思った。経過観察という状態はどうも性に合わない。さっさとかっさばいて取ってすっきりしたい。少々のリスクや傷跡は、まあしかたのないことである。死ぬ可能性はいつだってあるのだ。毎年更新している遺書を書き直しておこう。そこまで考えて時計を見ると、医師のせりふから五秒が経過していた。 やっちまいましょう、手術。そう宣言した。医師は職業的な笑顔で、それではゆっくり決めてください、と言い、診察を終了させた。何が「それでは」だ。もう決めたと言っているのに。 自分の病気に関する情報はいちおう集めた。ただ、わたしは思うんだけれど、情報収集能力や情報処理能力があればものごとが決められるというものではない。情報がじゅうぶんに与えられて決断するという場面はむしろ少ないからだ。わたしたちはしばしば、決定のためのリソースを欠いたまま岐路