前回の記事はこちら コサックのペトリンが北京を訪問してロシアと中国が初めて出合ってから、ほぼ20年が経った。その1636年に、満州(今の東北3省)の地に興った女真族は国号を「大清」と改めて、南の明への侵攻作戦を進めていく。 そして、同時に北方へも勢力圏を拡大して、1630年代にはアムール河(黒竜江)中流・上流での支配権を確立していた。 その頃に、このアムール河へ探検家のポヤルコフがロシアの遠征隊を率いて到達する。それに先立って彼らのコサック軍団はもっと北の地域を東に進んでいたのだが、オホーツク海が見えると東はこれで終わりだと思い込んで、目指す方角を南に変えた。その行き着いた先がアムール河である。 ロシアと中国、最初の戦争が勃発 学者の調べでは、オホーツク海に出ればラッコの毛皮が手に入ることにロシア人が気付いたのは、それからおよそ100年も後のことらしい。初めからそれが分かっていたら、中国と