知らせるべきではなかったんだろうか 桃邪気Pの訃報からしばらく経って。MAD作りに集中したり、自転車でがむしゃらに走ったり、普通に日常を過ごしているうちに、ようやく自分の中で少し落ち着いてきました。 この報せを聞いたとき、私はいてもたってもいられなくなり、半ば反射的に先の記事を投稿しました。桃邪気さんの作品が多くの人たちに愛されているのを知っていたからです。また、彼の友人でニコマスに足を踏み入れているのは私ぐらいで、また、Twitterと連携すればそれを広く伝えることができるだろうとも考えました。 結果として、この報せは、多くの人に伝わることとなりました。たくさんの追悼のメッセージが、blogや投稿された動画へのコメント、という形で表されています。彼の作品は、本当にたくさんの人の心を動かしてきたんだなあ、と、思わせるものでした。 しかし。そのことが、多くの悪意をも呼び込むことになってしまい