そんなこんなで、漫画家アシ、キャバ嬢、OL、などの職業を経てきた私であるが、まだこちらで一度も触れてないものがあった。プラネタリウムのお姉さんである。のん...そんなこんなで、漫画家アシ、キャバ嬢、OL、などの職業を経てきた私であるが、 まだこちらで一度も触れてないものがあった。 プラネタリウムのお姉さんである。 のんびりした職場で、定年退職した学校の先生や 市役所の職員で構成されていた。 近所のじいさん、ばあさんが遊びに来ると、 仕事を中断してみんなでお茶といった具合に、 穏やか・・・
私は、妹まゆみ、弟たかしの三人きょうだいだが私以外のきょうだいは思春期によく荒れた。妹は中学生の頃、夜によく家を飛び出しては、「まゆみ~、どこにいるの~」...私は、妹まゆみ、弟たかしの三人きょうだいだが 私以外のきょうだいは思春期によく荒れた。 妹は中学生の頃、夜によく家を飛び出しては、 「まゆみ~、どこにいるの~」 「まゆみ~」 という、自分を探す母や私の声を、 自分の家と裏の家の境目の壁に、ヤモリのようにへばりつい・・・
当時大学4年生だった私は、Kプロで毎日漫画の背景を描く仕事に追われていた。その頃K先生は週刊連載2本と月刊の連載を数本抱えていて、先生が激務なのはもちろん...当時大学4年生だった私は、Kプロで毎日漫画の背景を描く仕事に追われていた。 その頃K先生は週刊連載2本と月刊の連載を数本抱えていて、 先生が激務なのはもちろん、そのアシスタントも激務だった。 私は、その頃2度目の自動車教習所へ通っていて (教習所は期限が1年なので、期限が切れたら払い込んだ教習代もパァ) 既に一度期限が切れて通い直している状態だったにもかかわらず、 またしても期限が迫っていた。 その上、大学では今のままでは単位が足らず、卒論も提出しなければならない。 留年の瀬戸際だったので授業を休むわけにはいかず、 朝まで仕事をして、風呂も入らずそのまま大学へ行くことも珍しくなかった。 それだけでもキャパを越えていたが、その頃の
あれは忘れもしない冬の日私は結婚して既に実家を離れていた。携帯に母から電話があったので出ると母が尋常でないくらい、うろたえている。…弟である。私は「またか...…弟である。 私は 「またか…。あいつ、今度は何をやらかしたんだ…」と、思いつつ話を聞くと どうやら、弟が友人のトラブルに巻き込まれてしまったという。 母は、とにかく、私から弟に話を聞いてほしいというのだ。 弟は携帯を変えたとかで、私は母に言われた電話にかけた。 弟の話を要約すると、仲の良い友達にどうしても、と頼まれて、 弟名義でサラ金から50万だか借りて、その友達に渡した。 信用していた友達なのに、そいつは支払い期限が近づくと逃げた、という。 そして、利子が膨らみ、その額は84万になっている。 今日払わないともっと額が増えて〇〇百万になる、とかそんな話だった。
キャバクラで知り合った久美ちゃん(源氏名)私は久美ちゃんの本当の名前も、年齢も知らない。私が久美ちゃんについて知っているのは、久美ちゃんが10年以上前に、...キャバクラで知り合った久美ちゃん(源氏名) 私は久美ちゃんの本当の名前も、年齢も知らない。 私が久美ちゃんについて知っているのは、 久美ちゃんが10年以上前に、出版社で漫画編集のアルバイトをしていたということ。 何やらのっぴきならない事情でキャバクラで働いているということ。 ある日久美ちゃんが、私にアルバイトを持ちかけた。 脚フェチサイトのモデルをやらないか?というのだ 久美ちゃんはキャバクラ以外に、ランジェリーパブと脚フェチモデルと、SMの女王様と、男性のオナニーを見てお金をもらう、通称「オナ見」のアルバイトを掛け持ちしていた。 お店の女の子たちは、久美ちゃんのことを 「結婚詐欺に遭って多額の借金を背負っている」 とか 「株で大
最近よく、なぜブログをはじめたのか?と聞かれることが多いので今回はブログをはじめたきっかけについて、ちょっとお話したいと思います。「東京都北区赤羽」の作者...最近よく、なぜブログをはじめたのか?と聞かれることが多いので 今回はブログをはじめたきっかけについて、ちょっとお話したいと思います。 「東京都北区赤羽」の作者、清野とおる氏。 清野氏は数年前に弟を通じて知り合って以来、数カ月に1度のペースで私、弟、清野氏の3人で集まり、お酒を飲みながらそれぞれの近況などを報告しあう関係、要するに飲み友だ。 初めて清野氏と会った日のこと。 その日、待ち合わせに来るハズの弟が仕事で30分ほど遅れ、早めに到着した私はホームレスのおじさんに絡まれていた。 おじさんは「人徳が大事」と、何度も何度も「人徳」という単語を繰り返していた。おじさんがホームレスの道を歩むことになった理由と人徳に深い関わりがあるのか
オムツ倶楽部の回でチョロっと触れたが、乏しい私の恋愛経験のうちで一番つらかった失恋の話でも今日はしようかひとつ年下のM君は、お堅い仕事、真面目実直、複雑な...ひとつ年下のM君は、お堅い仕事、真面目実直、複雑な生い立ち、デートは1円単位まできっちり割り勘。口癖は「どうせ俺にはお父さんが居ないよ」だった。 彼の話をするたびに、周囲の人間は口を揃えて「やめとけ」と言った。 この場合の「やめとけ」は、「あんなふざけた男はやめとけ」ではなく、「(ふざけたお前にはあんな真面目な男は合わないから)やめとけ」 という意味のようだった。 そして、私は、「やめとけ」と言われるたび と寝言をほざき自己陶酔していた。 M君は非常に真面目な性格で、下ネタを言う女性が大嫌いだったので私はM君の前では一切の下ネタを封印した。 ある日 秋元さんに、「M君がいかに下ネタが嫌いか」について話をしていると 秋元さんが「携帯
過去の面白かったこと::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 過去にあった出来事を書き綴っていくだけのオナニーブログ 誰も読まないだろうし、誰も知らない私だけのケツ穴… ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 今から15年ほど前、私は某超売れっ子漫画家 K先生の下で ひたすら背景を描く毎日を送っていた。 当時のK先生(仮名)は連載を同時に4つ抱え、漫画のドラマ化で超がつく多忙な日々を送っていた 私は当時大学3年生で大学とアシスタントを掛け持ちしていたので、とにかく忙しくて全然遊ぶ暇なんてなかったけれど、漫画のノウハウが学べ、さらにお金までもらえるアシスタントはそれなりに楽しかった。 そのK
過去の面白かったことクソデブという愛称で親しまれるあいこんと、イケメンで有名なカキフライだ 私が2年程前にツイッターを始めた当初、二人とはタイムライン上で少しリプライを交わす程度だったが、 気がついたらツイ友からリア友になっていた 彼らは親しみを込め私を「おばちゃん」と呼ぶのだが 時折「ババア年考えろ」「グロマン」「死ね」など心ない言葉を浴びせることがある ここで、あいこんについての説明だが あいこんは素人童貞で風俗へ行ってもどうしてもオッパイが揉めない。 あいこんは度々、ツイッター上で「おっぱいを揉んだことがない」と呟いていたのだが、『風俗へ行っておっぱいを揉まない事などありえない』 『その話はにわかには信じがたい』とみなが口々に呟いていた。 しかし、私は、あいこんのシャイな性格から、素人童貞でおっぱいを揉んだことがない可能性は十分推測出来ることだと思っていたので、あいこんにいつかおっ
過去の面白かったこと ついったhttps://twitter.com/#!/kitsukomこんにちは マン臭です。 当初、内輪で楽しめたら…と軽いノリで始めたブログですが 前回のエントリーに5万人以上の方がサイトを訪れてくださり… こんな酷いネーミングのブログをたくさんの方に読んでいただけたことに戸惑い半分、嬉しさ半分… ブログのコメントはもちろん、エゴサーチ等で皆様の感想を隅々まで読ませていただきました。中でも『過去最高にひどい。排泄物シリーズの中でもダントツ』というコメントには思わず吹き出してしまいました。 読んでくださった皆様、そしてツイッターでRTして下さった方々、 はてなブックマークして下さった方々、ありがとうございました!!! これからも、コツコツと更新していくので 温かく見守ってくださいね ::::::::::::::::::::::::::::::::::::
過去の面白かったこと ついったhttps://twitter.com/#!/kitsukom我が家はセックスレスだ 私は子供を出産してから憑き物が落ちたように性欲が無くなり 夫からそういった行為を求められても 『家族なのにセックスする事は恥ずかしい』 と思うようになってしまった 『家族なのにパコる』違和感、これは妻や夫とのセックスを拒む多くの人が感じている感覚かもしれない 私は、出産してから そういった行為をすることに抵抗がある旨は夫に常々話していたので、夫が「たまにはセックスしようぜ」と言っても、私は「マン臭きついから恥ずかしい」と冗談交じりに拒み、 amazonで購入したオナホールを夫にプレゼントしたりしていた ところがある日… 鬼のような形相で夫が私の部屋の扉を開けると と、もの凄い剣幕で浮気を認めるかセックスするかの二択を迫ってきたのだ。 私は、尋常じゃない夫の様子を察し
過去の面白かったこと ついったhttps://twitter.com/#!/kitsukom今から10年以上前 漫画のアシスタントを辞めた私は、 漫画とは全くかかわりのない仕事に転職していた 職場と家との往復に疲れきっていた私の唯一の楽しみは、 くだらない企画の深夜番組を見ることだった その日見ていた番組は新人のアイドルが、オムツプレイをする店に体験入店をする企画だった アイドルは同行したスタッフらしき人物に、オムツを替えることは無理ですごめんなさいと必死に訴えていた 経営者の男性らしき人物が「うちのお店は一切 ピンクがない」「男性を赤ちゃんのようにあやしながらオムツを交換すれば良い」と言っていたので オムツ交換だけであれば、私にも出来るかもしれないなぁとぼんやり見ていた。 私はその当時付き合っていた彼氏にフラれたばかりだった。 元彼の職場は、私が働いていた建物と道路を挟んで向か
過去の面白かったこと ついったhttps://twitter.com/#!/kitsukom今から8年前、実家の父親から突然電話がかかってきた めったに電話をかけてこない父からの電話に、私は何となく状況を察し と言った 父は最初 電話の向こうで黙っていたけれど、私の直球の問いかけに 「うん」とだけ答えた。 でもその「うん」の中に父の色んな思いが詰まってる気がしてそれ以上何も言えなかった。 3年くらい前から、父の会社の経営状態があまり良ろしくない話は聞いていたので、倒産は覚悟していたけれど、自分が生まれ育った家が無くなることに対しては全くリアリティが湧かなかったので、生まれ育った家に「もう二度と帰れない」事に対して すごく不思議な気持ちになった 実家は売りに出され、それと共に両親の住む場所がなくなるので 兄弟でお金を出し合い援助したがそれでも足りなかったので、私は両親に内緒でキャバ
と、本人の強い希望があったので、今回は包茎のお話です。 弟は重度の真性包茎だった 高校1年の夏休み、母に連れられ都内の包茎専門クリニックで手術を終えた弟は 生まれて初めて自分の亀頭を目にした瞬間、思わず「うわー」と声をあげた 母は高校の修学旅行で息子が恥ずかしい思いをしないよう、修学旅行前に手術を受けさせようと、包茎に関するチラシを集めていた ジャンプの巻末の、男性がタートルネックで顔を隠した広告や、週刊誌に掲載されているチラシを切り抜いては、 缶で出来た長方形の入れ物に母が包茎広告をせっせと収集していたのを、私はよく覚えている 出来るだけ事前にリサーチし、出来るだけ痛みが少なく、より腕の良い医者で包茎手術を受けさせてあげたい親心だったのだろう しかし 包茎手術において、最も重要なのは医師の腕もさることながら術後のアフターケアなのだ 包茎手術後、最も大切で守らなければならない事柄の一つが
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