慶應義塾大学教授 小学校低学年のころ、近くにあった京都大学というところはいつも争乱でした。ヘルメットにゲバ棒のお兄さんたちと機動隊とが衝突していて、火炎瓶で火だるまになる人を見物しに行きました。酔っぱらったヤジ馬が「学生がんばれ~」と怒鳴っていました。それから十年ぐらい経ち、自分がその門をくぐりました。 学生運動が終焉していたとはいえ、時計台には「竹本処分粉砕」との落書きが往時をとどめ、少ないながらもヘルメットとマスクはうろついていました。大学当局も何かにつけ国家権力とは距離のあるたたずまいでした。 しかも私は授業にも出ず、西部講堂という第一勧銀7千万円強奪犯が逃げ込んでも大学当局も警察もわからなかったという実に治外法権の場所で過ごしていたため、当局や権力との距離感がズレている面はありましょう。その自分が結局、政府の役人になり、その後、大学に身を置くようになったというのは、バチ当たりなこと
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