平素より「はてなスペース」をご利用いただき、ありがとうございます。 「はてなスペース」は、2016年2月29日をもちまして、 サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://space.hatenastaff.com/entry/2016/01/12/143219
2008年4月、はてなが本社を京都に移転した。インターネットサービス開発のための人員を結集し、京都本社をものづくりの拠点とする計画だ。これまでHatena Inc.立ち上げのために米国で活動してきた代表取締役の近藤淳也氏も活動拠点を京都に移し、サービス開発に集中している。 今回の移転の背景には、海外で事業を立ち上げること、海をまたいだ複数拠点で会社組織を動かすことの難しさがあったというが、近藤氏は前向きだ。もともと10年ほど住んでいたという京都は、「新しいというよりも懐かしいという感じで、環境的にはやっぱり良い」と語る。 新生はてなは今後、京都からどのような価値を生み出していくのだろうか。近藤氏に聞いた。 新しい仕組みは、おかしなことを考え続けないと出てこない --京都という環境は、開発にいい影響を与えていますか。 うん。影響していますよ。集中できるという意味ではすごいできますし、こうして
毎週金曜日は夜にTGIFというのをやっている。ビール片手に一週間お疲れ様でした!と乾杯して、主に取締役が今の会社のレポートなどをする。酒が入ってがやがやした雰囲気の中で、結構重要な発表や議論をやっている。 そのTGIFで、昨日は退社のお知らせと、新しい人の入社のお知らせをした。2001年に会社を作ってから一度も人が辞めたことはないまま来ていたはてなは、6年目の去年にして初めて人が辞めるのを経験した。会社を作って初めて、ある程度まとまった人数の人が出たり入ったりするのを経験した。社員が去るのはいつまで経ってもつらい部分は残るだろうけど、それでも最近はようやく、こういうことはいつも起こるものなのだ、という心構えが自分の中にも社員の中にもできてきて、それは健全なことだと思う。 経営者が社員は辞めないという前提で社員に接するのも問題があるし、社員がこの仕事が自分にとってベストな仕事かという思考を停
はてなの近藤淳也社長が日本を去る。妻ともう1人の社員と、犬1匹を連れて。社員19人を、東京に残して。 なぜ今、アメリカに?――そうたずねると「いや、それがね」と照れ、濃くて強い目の光が、少し柔らかくなる。 「映画館で『スターウォーズ エピソード3』を見ていてふと、『東京でぬくぬく暮らしていてはいけない』と思ったんですよ」 善良で純粋だったアナキン・スカイウォーカーは、つらい葛藤を経てダークサイドに落ち、ダースベイダーになる。「登場人物みんな、ずいぶん過酷な人生を送ってますよね。全宇宙の運命を背負い、命をかけて刀を振ったり――すごいなぁと思って」 そして反省した。「もっと過酷な環境で頑張らないといけないのでは」と。昨夏のことだ。 近藤社長の生活も、生ぬるいものではないはずだ。「日本を代表するWeb2.0企業」などと言われ、注目を集めるベンチャー社長。新サービスやユニークな会社の仕組みにマスコ
2023年あけましておめでとうございます。このたび、京都市内の某所地下に、クリプトのバーをオープンすることになりました。クリプトというのは「crypto」で、暗号資産、ブロックチェーン、web3系のことに興味がある人が集まるバー、ということです。 prtimes.jp 2017年にOND社を作ってからやってきたことの1つに、「UNKNOWN KYOTO」という施設の運営があります。ゲストハウスと、コワーキングと、レストランが同じ建物の中に入っている複合施設で、遠くから来てもらうと、「泊まれて、仕事ができて、食事もできる」という三拍子揃った、「とりあえずここに来れば外に出なくても一通りのことができる」施設になっています。 unknown.kyoto これはコロナが始まる前から感じていたことなんですが、例えば京都から東京に出張に行くと、宿を予約して行くのですが、チェックインした後とかで、打ち合
はてなと言えば、自由で柔軟なイメージが強いが、近藤社長は「一旦他人のやり方を受け入れてから客観的に議論できる」人材を求めているという。自由を大切にする一方、自分を厳しく突き詰めて、人とのコミュニケーションを重視する姿勢が見えてくる。(聞き手は弊社社長 田中良和) 「成功と失敗」を許容できる強さ 田中:近藤さんは大学院生の1年間、自転車レースにチャレンジしていますよね。ほとんどの人は「やりたいと思いながらもできない」、または「どこでやめたらいいのかわからないので、手を出すのに躊躇する」という考えを持っているのではないでしょうか。近藤さん的な生き方のユニークなところは、始めると同時にやめることも考えているところではないかな。 近藤:終わりのイメージは、始めるときに持ってますね。仮にうまくいったら、こちらに進んでみようというのもあるし。 田中:初めから最終的な像をいくつか描けたらやってみようとい
はてなの組織としての魅力には、社長・近藤淳也氏のパーソナリティが色濃く反映されていると言われる。前編では、起業までの軌跡を追った。「やりたいことをやる」を貫き通した学生時代から、起業を決断したターニングポイントはどこにあったか?(聞き手は弊社社長 田中良和)はてなの組織としての魅力には、社長・近藤淳也氏のパーソナリティが色濃く反映されていると言われる。前編では、起業までの軌跡を追った。「やりたいことをやる」を貫き通した学生時代から、起業を決断したターニングポイントはどこにあったか?(聞き手は弊社社長 田中良和) 近藤 淳也(こんどう じゅんや)氏 プロフィール 1975年生まれ。2000年京都大学大学院を中退後、カメラマンを経て、2001年7月「有限会社はてな」を設立。2004年春、株式会社化ならびに東京移転。初の著書『「へんな会社」のつくり方』は、2月13日発売。 近藤さんのGREEの
昨日のエントリー、社員どうしでボーナスを計算するが思いのほか反響があったので、はてなで実践した例についてもう少し詳しくご紹介しておこうと思います。 まず、今回の試みについては「基本○ヶ月分」と決まっている通常のボーナスではない、業績連動部分のボーナスについて行いました。ですので、個別の面談で決定した基本報酬額のプラスアルファの部分について行った、という経緯があります。相互評価方式を採用したのは今年が初めてだったわけですが、最初の取り組みでありどんな結果になるか分からない、という部分もあったため基本的な報酬額の部分には踏み込んではいません。 さらに、集計して算出された結果を見ながら取締役会で調整を行って最終的な支給額を決定する、という前提の下で実施しました。 実際の評価に使った各社員用の評価シートと、集計プログラムを公開しておきます。(同様の取り組みを行われる方はどうぞご自由にお使いください
2005年秋に、はてなではボーナスの支給額を決めるのに少し変わった取り組みを行いました。14人の社員がそれぞれ自分を含めた全社員を点数で評価し、さらにその点数を元に集計を行って支給額を算出しました。 各社員の評価は今期の会社への貢献度を元に100点満点で行い、最も貢献したと思う人を100点にし、そこから相対的に全社員を評価していきます。業務内容が違うために評価が難しい人については空欄にでき、他の評価者に判断を委ねる事ができるようにしました。 こうして集まった評価点を一箇所に集め集計を行うのですが、ここにも少し工夫を加えました。単純に平均値を取ったりするのではなく、「高い評価の人からの評価ほど意味がある」という風に重み付けを行いました。つまり、評価の高い人が行った判断ほど価値が大きくなるような計算を行ったのですが、これはちょうど「価値の高いウェブページからのリンクがあるページは価値が高い」と
はてなの中には10を超えるサービスが存在しますが、それぞれのサービスにはサービスの方向性を決めて開発の陣頭指揮を執るディレクターが存在します。 2005年秋に、コンペによってこのディレクターの選出する試みを行いました。コンペの参加者は社員に限定されていますが、複数人の社員がコンペ期間に向けて自分の思いを形にしたプロトタイプサービスを開発してもらい、コンペ期間中にユーザーに向けて公開。1週間のコンペ期間後、ユーザーの人気投票なども参考に次期のディレクターを選出するという取り組みです。 2005年秋に行ったフォトライフコンペについては、結果的に候補作が1週間のうちには出揃わず、残念ながらユーザーに向けての公開と投票を行うことはできませんでした。しかし、未完成ながら各候補者の作品を社内向けに発表し、その発表を元にディレクターの引継ぎを行うことはできました。 ディレクターの選任、といった責任あるポ
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