石川ひとみがアイドル歌手として大成しなかったのは、昭和歌謡界七不思議の一つと言っても良いほどのミステイクなのだが、それを時代のせいだけにしてしまうのも無理があるような気はしている。 以前、大場久美子に関するエントリで、1970年代後半を「アイドル冬の時代」と形容したが、実はその前提となる「アイドル歌謡曲システム」が日本の音楽マーケットにおいて完成したのは1972~73年頃でしかない(「悪魔がにくい」 / 平田隆夫とセルスターズ参照)。 いわゆる中三トリオをヒエラルキーの頂点にして構成されたシステムは、「中三トリオ」から山口百恵が突出し、予想よりも早く脱アイドル化したことによって崩壊せざるを得なくなってしまった。 中三トリオよりも上の世代の麻丘めぐみやアグネス・チャンは結婚や学業といった自らのキャリア形成のために途中退場を選択し芸能界を去った。 彼女らが早退したあと、本来ならば中心的存在とな