日本のヒップホップ/ラップはストリートとクラブから生まれてきた。クラブは1980年代まではディスコと呼ばれていた。 日本で最初にヒップホップを専門にプレイするクラブ(ディスコ)がオープンしたのは1985年で、その渋谷「HIPHOP」には、東京のディスコの流れから、既にプレイに定評のあるDJたち、マイケル、モンチ、ユタカ、ヒロ、マーヴィン、マツなどが集まっていた。彼らのなかの数名はM.I.D.という名の下でアイドル向けのリミックスを含むプロデュースを行ったが、なによりもFM横浜開局から、平日の深夜の『MARUI 24 CLUB』という番組でミックス(ヒップホップだけではないが)を流していた影響は大きい。 日本のヒップホップについて、藤原ヒロシ、高木完、中西俊夫、工藤昌之、屋敷豪太によって設立された、日本初のクラブミュージックレーベル<メジャーフォース>と原宿の路上でのブレイカーだけにその起源