カメキチの目 若いときは、(よくいわれるが)時間に「追われている」 という感じだった。 働いていたときはなんやかんやとあり、じっくり何かについて考えるということはむずかしかった。 (人は忙しくしているとき、働きざかりは、何かの刺激を受けての反応なのなら 「感じる・思う」ことくらいはできても、「考える」のは疲れるし 面倒くさいので、そこまではあまりしない《少なくとも私はそうだった》。 逆にいうと、「考えない」ために忙しくしているのかもしれない) ボゥーとする時間さえもったいなく感じられる。 私は本気で、「寝ている分だけ生きている時間が 失われる」とさえ思っていた。 仕事しているときの事故で身体に障害を負った。 あのとき身体の状態は、SOSを発するまでは行かず とも、「休め!やすめ」といっていたのかもしれない。 (「過労死」する状態というのは、すでに「休む」ということが頭に入らなくなっているい
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