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ブックマーク / yuhka-uno.hatenablog.com (2)

  • 中高6年間、自分で弁当を作って持って行っていた私が思う、「給食か弁当か」問題 - 宇野ゆうかの備忘録

    nlab.itmedia.co.jp タイトルの通りである。私の両親は共働きだったので、中学高校と6年間、自分で弁当を作って学校へ通っていた。なので、こういう「給か弁当か」問題については、色々言いたいことがある。 結論から先に言うと、「『弁当か給か』の議論は、私のような子供の存在を基準にして考えろ」だ。そして、そこから導き出される結論は1つ。「給が最善。論点は予算の問題だけにしろ。余計な精神論を混ぜるな」だ。 「お弁当を作りたいお母さんの気持ち」?それよりも「弁当を毎日作らざるを得ない子供の気持ち」を考えろ! そもそも、公教育は、家庭の事情がバラバラな子供たちに、ある程度均一な教育を与えるためのものであり、その点に立ち返るなら、家庭の事情がバラバラな子供たちの事事情を補うためにも、給が望ましいのは当然の話である。 成長に必要なものを与えられる環境で育つのは、子供の権利であり、子供

    中高6年間、自分で弁当を作って持って行っていた私が思う、「給食か弁当か」問題 - 宇野ゆうかの備忘録
    sionsou
    sionsou 2018/12/20
  • 「快・不快」の不均衡~ヘテロ男性は、自分にとって不快なエロ表現への配慮に気づいていない - 宇野ゆうかの備忘録

    例の巨乳着衣の女性が表紙のラノベについて、ある女性と議論を交わした。女性「不快と感じるかどうかは人によるって田中さんは言うけど、じゃあ蓮コラが表紙になったが平積みされてたり、ビルの上の看板になっていたとしたら、田中さんは目をつぶって街を歩く?」と言われて答えられなかった。 — はぁとふる舞国土@3日目東ス26a (@keiichisennsei) September 22, 2018 胸を強調した女性の絵が表紙のラノベが、子供も目にするところに積まれていた件*1について、田中圭一氏がある女性と話したことらしいが、この件については、こういう個人レベルの快・不快の問題というよりは、社会のどの層の人たちにとっての快・不快の感覚が優先されているかということが、問題の質だと思う。 今回問題になっているのは、ジェンダーの快・不快問題だ。多くのヘテロセクシャル男性にとっての快・不快の感覚が優先され、

    「快・不快」の不均衡~ヘテロ男性は、自分にとって不快なエロ表現への配慮に気づいていない - 宇野ゆうかの備忘録
    sionsou
    sionsou 2018/11/25
    ずっとこういう議論始まってから思う、はっきり言えと。「オレが/私が不快だから」って。ジェンダーだのLGBTだの性的少数派への云々だの建前言うなって、お前が嫌だからいちゃもんつけたいんだろ?マジで吐き気する
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