当時は、なぜか、 マイルス・デイビスという神がいて、 「ジャズをきかなければいけない」 という強迫観念がありましたね。 新宿ピットインにならんで 演奏をきいたり‥‥ ヒマだったから、いけちゃうんですよね。 昼の部が、ニュージャズだった。
当時は、なぜか、 マイルス・デイビスという神がいて、 「ジャズをきかなければいけない」 という強迫観念がありましたね。 新宿ピットインにならんで 演奏をきいたり‥‥ ヒマだったから、いけちゃうんですよね。 昼の部が、ニュージャズだった。
あのね、ま、言いづらい話なんですけど、 世の中には「頭のいい人になりたい人」というのが すごくたくさんいてね、多くの場合、 その人たちが迷惑をかけるんですよ。 なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、 すごく頭のいいことを考えて、 みんながそれに従えば 世の中がよくなると思ってるんです。 で、法律や、決まりや、 マニュアルをたくさんつくる。 それに従えば幸せがやってくると思って。 「1、こうするといいぞ」とか、書くんです。 でも、みんなは、頭のいい人の思惑を外れて、 「えっと、4番はなんでしたっけ?」とか、 「俺、じつは読んでないんですよ」とか、 「まぁ、いいじゃないですか」とか言うわけです。 そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、 「どうして大衆ってバカなんだろう」って もう、涙を流しながら思うんです。 「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。 でもね、彼らが言うようなことが
第30回 プロジェクトの進め方について 詳しく教えて。 前回、開発チームが小さい方が 開発効率が高まるという話をしました。 今回もそれに引き続いて、 プロジェクトの進め方や、生産性の話です。 僕がチームの生産性の向上に 一役買っていると思うやり方というのは、 プロジェクトチームの中で仕事を割り振るとき、 どうやって仕事を割り当てるかという方法です。 とはいっても、蓋を開けてみれば大したことではないので 改めて書くほどのことでもないかもしれませんが、 しかし理にかなった方法だと思うので、 紹介したいと思います。 1番のポイントは、 基本的に誰が何をやるのかを決めるのは、 その仕事をする本人だということです。 マネージャーに 「これをいついつまでにやれ」 と指示されるわけではないのです。 マネージャーやチームリーダーの仕事は、 次にチームが解決しなければならない問題を洗い出し、 テーブルの上に
25年くらい。 それで、昔よく遊んでた友達がある日 ジャージはいてたんで、 その瞬間、絶交しました。
ジブリに入った人は、 いわばそれまでにも大学で投げていた ピッチャーみたいな 技術のある人たちでしょうけど、 ジブリで大塚さんに教わって、また、 目が開くみたいなことがあるわけですか? 目を見開かれて描けるようになる人もいます。 相性がありますから、 ダメな人もいるんですけれど。 ただ、大塚さんは、 「こうやると、たのしいじゃないか」 ということはちゃんと教えてくれるし、 大塚さんが「これは」と見こんだやつは、 ぼくなんかが見ているなかでは、 いいアニメーターになったようですね。 一時は新人教育から 離れていただいていましたが、 去年や今年は、 また大塚さんにやってもらっているんです。 特に今こそ、 大塚さんの血が必要だと思ったから、 ぼくが提案したんです。 今、アニメーション界においては、 ちょっとむずかしい問題が出てきているんです。 さきほど「1枚絵」と 「絵の動き」について話しました
小説を書くときに、 ストーリーよりも感情吐露よりも、 風景を書くことを重視している保坂さんに、 ふだんよく散歩をしているという 世田谷の羽根木公園でお話を伺えるなんて、 ワクワクしています。 いまはこうして二人でいるんだけど、 一人で来るのもいいんですよ。 一人で公園を歩くっていうのは、 頭の中で、誰かと喋っている気がするんです。 この風景がいいと感じているときに、 口ではうまく言えない感覚なんだけど、 「おもしろいよね」 「うん」 「ほら、あそこに・・・」 って、誰かと話しているような気がする。 誰か、好きな女の子がいると、 特に激しく好きな時期って、どこに行ったとしても、 その子が横にいればなぁ、とか思うでしょ? そういう経験が重なると、一人で歩いていて、 誰もいなくても、 心の中で語りかける相手がいるというか。 今、本当に抜けるような空を背景にして、 色づきだした葉っぱがそこにあって
<空気を読む> 「空気を読む」ということばが、 あちこちで聞かれるようになった。 おもに、「空気を読め」とか 「空気が読めないやつ」という具合に 否定的な言い方で使われることが多い。 他の言い方をすれば「察する」ということだ。 この「察する」という能力は、 昔は、みんなにあった ということになっている。 みんなが察し合うコミュニケーションをしてきた、と。 「察し」のコミュニケーションは、 明文化されてないルールのように、 わからない者には、なにをどうすればよいのか 判断する基準が見えないために、 新しい世代の人間には評判が悪かった。 してほしいことをハッキリ言ってください、とか、 言ってくれなきゃわからないでしょ、とか、 「察しのコミュニケーション」に 反対する立場の人の言い分は、わかりやすい。 もし、「察し派」と「明文派」というものに 分けられてディスカッションしたとしたら、 「明文派」
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