2009年1月9日のブックマーク (2件)

  • 生きるということは手段ではない - 一本足の蛸

    しかし。ぼくに言わせると、その思想の一番おおもとにある(暗黙の)前提が間違っているので、そこから展開する論のすべてが無効になっています。その前提とはなにか? それは「生きることにはそれだけで価値があり、人は生きなければならない(死んではならない)」というものです。 そんなものは、フィクションです。ファンタジーです。生とは目的ではなく手段です。生きるのは、なにごとかを為すためです。 だってさー、考えてもみてくださいよ。派遣で安い給料で働いて、辛かったり、苦しかったり、悲しかったりいろいろで、それで派遣切られて、寒かったり悔しかったりで、派遣村に流れ着いて、まだ「仕事をください」と。そこまでして、そこまでして。そこでさ、「あなたは何のために生きているんですか?」って聞かれて、もし答えらんなかったらさ、ごめんぼく笑っちゃうかもしれませんよ。「特にやりたいこともないのに、なんでそこまでする必要があ

    生きるということは手段ではない - 一本足の蛸
    sisc
    sisc 2009/01/09
    そもそも淹れるためのコーヒーがあること=生きていること、なのではないかと。
  • (翻訳:ガザ侵攻関連)サラ・ロイ「イスラエルのガザでの「勝利」には法外な対価がつく」:パレスチナ情報センター:Hot Topics

    Posted by:早尾貴紀 以下は、ホロコースト生き残りの二世であるユダヤ人で、ガザ地区研究の専門家であるサラ・ロイ(Sara Roy)氏の文章の翻訳です。彼女は現在、ハーバード大学中東研究所におり、この3月2~7日に、東京大学 UTCP に招聘されることになりました。(二年前にイラン・パペ氏を招聘したのと同じ枠組みです。) 詳細日程が決まりましたら、欄でも告知します。(京都大学でも一回だけ共催企画をもつ予定です。) なお、サラ・ロイ氏の著書二冊については、 こちら をご覧ください(書影入り)。 イスラエルのガザでの「勝利」には法外な対価がつく ――ユダヤ教倫理の伝統はパレスチナ人をも受け入れることを意味する サラ・ロイ(2009年1月2日) ガザの友人らの声は、まだ電話口にいるかのようにはっきりと耳に残っている。彼らの苦痛の声が私のなかにこだまする。子どもたちの死を嘆き悲しんでいたが