むつ小川原開発計画(むつおがわらかいはつけいかく)は、1960年代末より青森県上北郡六ヶ所村を中心とする一帯に石油化学コンビナートや製鉄所を主体とする大規模臨海工業地帯を整備することを目的とした開発計画。「世界最大の開発」[1]と言われたがコンビナートは実現せず、のちに原子力関連施設が進出することとなった。 経緯[編集] 1968年12月23日、当時の通商産業省(現・経済産業省)は、太平洋ベルト地帯に集中していた重厚長大型産業を過疎地に移し、公害や過密問題を解決すべく、下北半島における工業地帯開発計画の構想試案を発表。1969年5月30日に閣議決定された新全国総合開発計画(新全総)に、同計画が盛り込まれた。 当初は天然の良港である陸奥湾や、工業用水の取水源としての小川原湖の活用が考えられていたが、陸奥湾でのホタテの養殖に成功した漁業者の強硬な反対や、小川原湖の湖水に塩分が含まれることが判明