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村瀬直養 - Wikipedia
栃木県宇都宮市出身。本籍・愛知県。村瀬七三郎の長男として生まれる。 東京高等師範学校附属小学校(現... 栃木県宇都宮市出身。本籍・愛知県。村瀬七三郎の長男として生まれる。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、兵庫県立洲本中学校(現・兵庫県立洲本高等学校)、第五高等学校を経て、1914年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を優等で卒業し銀時計を授与された。1913年11月、文官高等試験に合格し、1914年7月、農商務省に入り農商務属・大臣官房文書課に配属された。 その後、鉱業監督官、兼工場監督官、兼農商務参事官、法制局参事官、内閣書記官・内閣官房会計課長、法制局第二部長、商工省商務局長などを歴任。1936年10月、特許局長官、同年12月、商工次官に就任。1939年10月、物価局次長となり同月に退官した。 1940年7月、第2次近衛内閣の法制局長官となり、次の第3次近衛内閣でも留任し1941年10月まで在任。退任後すぐに貴族院勅選議員に任命され、研究会に属し1946年5月