一次受けPMは四面楚歌、ファックファックと呟きながら終電に這い込み一時間半の家路。手をよく洗ってうがいして、カレーをチン。発泡酒を開ける。 寝室のドアをそっと開け、様子をうかがうと嫁と3カ月になる息子がよく寝ている。 「ああ、ここのところ平日は寝顔しか見れていないな。」 やっとここのところ首が坐ってきて、抱くのも怖くなくなったのだが。 「そういや親父も帰りが遅かった。」 平日は朝ちょっとすれ違うだけ。土日はいろいろまとわりついて遊んだ気がするが。 この子もそのうち平日遊んでくれないとすねるのかな。 そのとき、子供が笑った。なんちゅう可愛さだ。 その瞬間、キタ。 今までの人生での親父とのやりとりの記憶がぶわーっと。走馬灯ってヤツか? 一緒に遊んで笑ったこと、怒られて泣いたこと、初めて反抗してケンカしたときのこと。それがすべて、自分のと親父視点が重なって! ああ、これからこの子と自分は、同じで
第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 本大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日本一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの
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