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2012年8月4日のブックマーク (2件)

  • 「文は短く」は俗説か?ー〈短文信仰〉を屠り、短文のレトリックと長文のロジックを取り戻すために

    語の作文教育から文章読に至るまで、〈短文信仰〉とでも言うべきものがある。 文章表現を主題とする書籍の多くが「文は短く」と主張する。 「われわれ新聞記者は、だから、入社以来、先輩たちから、文章はできるだけ短く書くように、といわれつづけてきた。短く書こうとすると、主語と述語が近づき、事実がはっきりしてくる。込み入った因果関係のある事件などの場合には、とくにこの心構えが大切である。」(猪狩章『イカリさんの文章教室』) 「短く、短く、短く。/とにかくそれを絶えず念頭に置いてほしい。そして、短い一文に、全力を傾けていくことである。/ひとつの文に、あいまいさを残さぬことである。/文章を短くすることによって、意味のつながりを明瞭にすることができる。」(馬場博治『読ませる文章の書き方』) 「平明な文章を志す場合は、より長い文章よりも、より短い文を心がけたほうがいい。/私は、新聞の短評を書いていたころ

  • 博士号を取るとはどういうことか - kkatoのブログ - TYZOH(タイゾウ)

    の解説がおもしろく、妙に腑に落ちたので、訳してみることにした。 以下訳 --- 博士号への絵付きのガイド 私は毎年秋になると新しい博士課程学生数人に「博士号とは何か」を説明するようにしている。 言葉で表すのは難しい。 だから、絵を使うこととする。 博士号への絵付きのガイドとして、以下を読んで欲しい。 --- 人類の知識をすべて含む円を考えてみよう。 小学校を卒業するとちょっとだけ知るようになる。 高校を卒業するころにはさらにもう少し知るようになる。 学士を取ると、専門性が身につく。 修士号をとると、さらに専門性が深まる。 研究論文を読むことで人類の知識のふちにまでたどり着くことができる。 ふちに着いたら、ここに集中する。 このふちを数年押し続ける。 ふちが壊れるまで。 こうしてできたくぼみが博士号(Ph.D)と呼ばれる。 もちろん、今度は世界が違って見えるだろう。 だからこそ、大きな絵

    skznight
    skznight 2012/08/04
    知れば知るほど知らないことが増えるっていう話かと思ったけど、井の中の蛙~ みたいな話だった