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ブックマーク / zhqh.hatenadiary.org (2)

  • 「うるせぇよ!咳」について - (*o*)

    結局、怒らないようにする訓練をすればいいだけなのに、あるいは、他人より怒りやすいという自分の欠点を肯定したいために、無駄なことを考えているだけなのではないだろうか。怒ることを肯定するような事情について考えているとき、元気が出たような気分になる。こういう元気もある。元気にも良い元気と悪い元気があるということか。 昨日の朝電車の中で「うるせぇよ!」と大声で叫ぶ声が聞こえました。私は、病気の人かな、と思いました。これは差別でしょうか? 通勤電車の中で大声で「うるせぇよ!」と叫んだからといって、叫んだ人を病気と決め付けてよいのでしょうか。では、病気の人ではないとしたら、話せる人なのでしょうか。もちろん病気の人とも話しはできますが、話をする困難さが一定の水準を超えている状態を病気とすると、その水準を下回っている人でしょうか。いや、そもそもこういう基準で病気か病気じゃないかを判断するのは完全に間違って

    「うるせぇよ!咳」について - (*o*)
  • 2種類の斉一性 - (*o*)

    斉一性が想定されていなければ、前回はAだった、今回もAだった、だから、次回も、過去も、これからもずっとAではないか、という帰納的考え方は成り立たない。だから、斉一性は、帰納が成立するために必要な条件、前提ということになる。 一方、なぜ、自然はそのまま進む、という斉一性が想定できるのかというと、今まで自然を観測して来た結果、斉一性があるように感じられるからで、こういった、今までがそうだったからこれからもそうだろう、という考え方は、帰納である。だから、斉一性が想定できるのは、帰納によって、ということになる。 このようにして、帰納と斉一性は、それぞれ一方が他方を支えている、と考えられる。 単独の事実を見るだけでは、斉一性は問題にならない。斉一性は、同じことが続く、という性質のことだから、同じということ、共通の性質が、複数の事実について、問題になっていなければならない。だから、斉一性は、複数の事実

    2種類の斉一性 - (*o*)
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