本物の不幸というものがやはり存在することは、認めざるを得ない。それはそれとして、人々がある種の想像力を駆使して不幸を一段と膨らませていることも、またたしかである。自分の職業に愚痴をこぼす人に、あなたは毎日少なくとも一人は出くわすことだろう。その人の言い分は、いかにももっともに聞こえるにちがいない。どんなことにも文句はつけられるし、完全なものなど存在しないからである。 あなたが学校の先生なら、物知らずで知的好奇心のかけらもない礼儀知らずの若者に教えなければならないのだ、と歎くだろう。あなたが技術者なら、無用の書類の洪水に溺れかかっている、と不平を言うだろう。あなたが弁護士なら、こちらの言うことを聞きもせず、居眠りしながら食事を消化しているような裁判官の前で、弁論を述べなければならないのだ、と言うことだろう。 あなたの言うことはおそらくほんとうだ、私はそう信じる。この手のことはいつも、真実だと
「他人の不幸になら、私たちはいつだって十分に耐えられる」と言ったのは、あのモラリストのラ・ロシュフコーだったろうか。たしかにこの言葉はある種の真実を語っているが、しかしそれは半面の真実でしかない。私たちはいつだって自分自身の不幸に十分耐える力を持っているのであって、そちらに目を向ける方がずっとよい。いや、そうしなければいけない。運命の手が肩に置かれたら、もう逃れられない。ならば死ぬしかないのか、どうにかして生き延びるのか。大方の人は後者をとる。生命の力はすばらしい。 洪水に遭った人たちも、こうして状況に対応した。仮設の橋にも文句を言わずに足をかけたし、学校や役場などにすし詰めにされた人たちもなんとか住み心地をよくし、心から満足して食べ、眠った。戦争に行ったことのある人たちも、同じような話をする。戦場で辛いのは、戦争をしていることではなく、足が冷たいことだ。だから火を起こすことを必死で考える
このコラムについて 「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」。アランの『幸福論』の有名な一節です。アランはリセ(高等中学校)の哲学教師でした。『幸福論』は、教師生活の傍ら、1906年から1914年まで「プロポ(哲学断章)」として新聞に毎日連載されたものが基になっています。日本でも愛読されてきた『幸福論』を、翻訳家、村井章子さんの新訳でお届けします。落ち込んだときや、心が“折れた”と感じたときに、ぜひ読んでみてください。そんなネガティブな感情がすうっとなくなり、いつの間にか自分だけの幸福感を味わえるようになると思います。 記事一覧 記事一覧 2012年9月7日 ともかくも幸福になることを誓わなければいけない 【最終回】幸福になるという誓い 悲観主義は気分に、楽観主義は意志による。気分任せにしていると、人間はだんだんに暗くなり、ついには苛立ち、怒り出す。このことは、ルールのない遊びをし
HDMI経由でiPhoneやiPadの画面をディスプレイなどに出力できる「HDMI AV アダプター マイクロ for iPad/iPhone(直販価格税込4980円)」。ウェブサイトやスライドを最大1080pのフルHD画質で表示したり、ムービーを720pのHD画質で再生したりできる上に重量は約9グラムでiPad/iPhone用 HDMI アダプターとしては世界最小最軽量クラスとなっているそうなので、実際に購入して使い勝手を試してみることにしました。 パッケージはこんな感じ。 指先でつまめる程のコンパクトさ。 本体サイズは縦41.3×横31.4×厚さ9mm。 裏側はこんな感じ。 斜めから見るとこうなっています。 HDMIポートは以下の通り。 ドック端子はこんな感じ。 重量はわずか9グラム。 実際にiPadなどと接続するにはHDMIケーブル(別売り)が必要。 こんな感じでケーブルを接続すれば
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