今日読みなおして、改めて色々と考えていたんですが、ルツィファー的・アーリマン的・キリスト的の適用が短絡的であるという結論に達しました。お読み頂いた方には申し訳ありませんでした。そこで、金の王・銀の王・青銅の王をどう捉えたらよいか、という点をもう少し丁寧に見ていきたいと思います。 ルツィファー的・キリスト的・アーリマン的*1 では、Scheinの問題から改めて始めたいと思います。実は、この講演でシュタイナーはゲーテの『メルヒェン』とシラーの『人類の美的教育に関する書簡』を対称させながら話を進めています。つまり、Scheinというのは、シラーのいう美的仮象のことを指す、と考えられます。ちなみに、本書でも美的仮象の話は出ているのですが、著者はäußeren(外的な、外面的な)という言葉から見かけ、うわべと判断したわけですが、これは既に述べたように外的仮象のことと考えるのが自然です。これは既に述べ