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ブックマーク / diary.lylyco.com (2)

  • ぼくたちはただ「不安」のために働かされ続けるのか|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    なぜ精神や肉体を病んでまで、毎日毎日嫌いな職場で働き続ける人がいるんだろう。 原動力はただ将来への「不安」だろう。いまは、大したものを持っているわけでも、幸福で満ち足りているわけでもない。にもかかわらず、いま手にしているものに執着する。或いは、いまの生活レベルを何故か「最低限」に設定してしまう。収入が減ると「やっていけない」と思い込む。そういう人は、まず、失うことを恐れる。リスクをとるくらいなら「現状維持」の方がマシだと考える。さらに、不景気がその傾向に拍車をかける。リスクばかりが喧伝され、不安は否応なく膨らんでいく。そうして人は「何かを得るため」ではなく「何かを失わないため」に働くようになる。 この「不安」というのは曲者だ。欲望と同じで際限がない。いま年収500万の人は年収500万が「最低限」だと思い、年収3,000万の人は年収3,000万が「最低限」だと思っている。馬鹿馬鹿しい話だけれ

  • ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「リア充」という言葉、案外、廃れない。 どころか、じわじわとネト充圏外へと侵攻し始めている気配すらある。それだけインターネットが一般的になったということだろう。それにしても、リアルで充実とはややこしい概念だと思う。何しろ現実を真摯に見つめれば見つめるほど、大抵、充実からは遠ざかってしまう。現実とは来、身も蓋もないものだ。だから、充実の多くは夢や幻想や妄想に担保される。コンパやサークルの虚構性など今さらいうまでもない。そこにある人間関係も性関係も、所詮は個々人が抱く幻想同士の部分的な重なりにすぎない。解り合うことはおろか、認め合うことすらほとんどできはしない。 金持ちになることにも、異性にモテることにも、長生きすることにも、教祖になることにもさしたる意味はない。すべては等しく無意味である。一方で、巨乳を見れば揉みしだきたい衝動に駆られ、木陰で放尿する幼女の姿に興奮する。満たされぬ欲望はどこ

    smartbear
    smartbear 2009/04/16
    残念ながらそれはリア充/非リア充の話ではなくなってるよ。もっとおぞましい何かの話だ。
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