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lifeとkmiuraに関するsmartbearのブックマーク (5)

  • 近況 - kom’s log

    気温10度。まだ油断できないが一番寒い時期は抜けたような。 無珍先生が伝い歩きを盛んにしはじめて、次から次へと物をひっくり返し、棚に手を伸ばし引きづりおとし、ヨタヨタと足をよろけさせて転んでは、自分で床に落としたものに顔をぶつけて、ウワーン、と泣くのを眺めているのは、うーむ、自己組織化、と思わせなくもないが要するに自業自得である。生きることはすなわち自業自得であるからして、その縮図をそこに眺める思いなのだが、眼にあたったりしたら大怪我をしてしまうだろうから、ということでこの数週間大幅に家具を入れ替えた。イケアさまさまの登場である。 イケアの家具というと心ある人々の間ではグローバリゼーションの尖兵、郊外スプロール化の権化、大量生産、安かろう悪かろう、の象徴でもあるのだが、こうなると非常に便利である。背に腹はかえられぬ、というか、時間が無いので仕方がない。暇と余裕があれば、フリーマーケットめぐ

    近況 - kom’s log
  • 葬式について - kom’s log

    一人の人間が死んだことを確認するためには儀式的な社会行為が必要であると知ったのはたぶんとても若い山仲間の友人が死んだときである。雪崩の中で窒息死した後輩の葬式。それまでは、葬式、あー、キッチュ、だった。確かに。くだらねえ、葬式。おれはあいつのために川にに飛び込む、葬式なんてしゃらくせえ。葬式がキッチュ、というのは実にあたりまえ、というか理の当然である。でもやらなきゃいけない。それが私が後輩の死から学んだことだった。Condolence。何度もいわれた。彼女のことを知らない人にも。でもそれでいいんだと思う。それは社会的合意なのである。一人の人間が死ぬ、というのは個人が死ぬのではなく社会のなかに穴がぽこっと開くことである。死はその当事者には確認できない。したがって死はどうしても社会的にならざるを得ない。 極端なことをいえば葬式によって擬似的に我々はその人を社会的に殺すのである。そのために葬式が

    葬式について - kom’s log
  • 合成音声 - kom’s log

    大学の脳神経外科緊急外来の病室に日参し、夜は赤ん坊の世話をしている。”最小意識状態”の彼女は臓器にさまざまな問題が発生し、なかなかリハビリ病院にうつることができないでいる。日中は彼女の健康保険会社が払ってくれるお金で来ているお手伝いさんが掃除洗濯、赤ん坊の面倒をみてくれている。週末にはしばしばパリにすむ姉が助けにくる。夜はバーゼルの友人仕事をうちゃって頻繁に泊まりに来てくれている。交代でミルクをやる。夕飯は友人一同が交代で運んでくる。さまざまな国の家庭料理べているが、特にトルコ料理の奥深さに目を見張っている。赤ん坊の散歩や世話も交代制。日語、英語ドイツ語、フランス語、スペイン語、トルコ語、イタリア語、ルーマニア語、ハンガリー語であやされるこの赤ん坊はいったいどんな大人になるのだろうな、と思う。赤ん坊でも男、だからかどうやらやはり若い女が好きである。さまざまな国の美女におちんちんを

    合成音声 - kom’s log
  • The Formula of the End In Itself - kom’s log

    めずらしく雪の積もった街を急ぎ足で歩く。 彼女と7年間一緒に暮らし、寝ていたネコが死んだときいたのは、どうしょうもなく忙殺されていたそのさなかだった。私も好きな黒くて、足の先が下を履いたように白い小さなネコだった。すこしだけ忙しくなくなった今、いつネコが死んだのかが気になってあらためて電話をかけてみた。2月5日だった。彼女が脳死で死ぬはずだった日だ。愕然とした。そんなこともあるのだな、と思った。ちょうど彼女が脳神経外科のICUに担ぎ込まれた1月下旬、350キロ遠方に暮らすネコは、彼女が昨年12月半ばの引越しの際に忘れていったにおしっこをしたそうである。通常そんな行儀の悪いことをするネコではないのだが、その直後にネコは倒れ昏睡状態になった。2月5日に息を引き取った。 彼女はほぼ植物状態に近い状態になる。二日前におこなわれた10日ぶりのCTスキャンで驚くべきことが明らかになった。CT,MR

    The Formula of the End In Itself - kom’s log
  • 近況 - kom’s log

    彼女の説得工作に見事に負けて私は11月下旬に結婚し、12月中旬にその彼女は私の家にやってきた。一緒に暮らすのも楽しいなあ、と思い始めた1月下旬に子供が産まれ、その5日後にくも膜下出血で産院から神経外科に緊急入院した。2週間後の今、5日前に確実に脳死しますと宣告された彼女は(ドイツの医師はこのあたり容赦ない断言をする)酷なる状況を見事にギリギリでサバイブした。脳幹の大規模な梗塞で意識を取り戻す見込みはない、という程度の所見にまでに回復した。 うれしい。彼女が存在していること。 負け戦をボロボロになって闘ったのは彼女である。でも私は彼女を救ったような気さえしている。幾度にも渡る過酷な決断に直面して飯を忘れたせいか、指がやせ細って手を洗っただけで彼女が私に押し付けた結婚指輪がずり落ちるようになってしまった。そもそもこんな拘束具みないなものしたくないなあ、と思っていた。別にしなくていいのだろうけれ

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