1970年代以前は南中国海問題など存在しなかった。世界のどの国も南中国海の「九段線」内に対する中国の主権に異議を唱えはしなかった。南中国海に「問題」が現われたのは、南ベトナム政権と後のベトナムが独立後、中国の南沙(英語名スプラトリー)の島や礁を侵犯したうえ、中国の西沙(英語名パラセル)に対する主権を要求し始めたことに根本的原因がある。中国は西沙での反撃戦で南ベトナム政権を懲罰したことと、陸上でベトナムへの自衛反撃を行った以外は、南中国海でのベトナムの公然たる侵入行為を速やかに制止しなかった。その後遺症が今現われている。1つは、他の国々による中国の南沙の島や礁の略奪を触発し、促してしまったこと。もう1つは、ベトナムが米国を引き込んだうえ、他の小国も丸め込んで中国を威嚇し、中国との二国間紛争を国際問題化しようと企んでいることだ。(文:龍韜・中華エネルギー基金委員会戦略アナリスト。「環球時報」掲
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く