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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (2)

  • 死の強制労働から即時解放せよ - Arisanのノート

    夕方、原発からのテレビ中継を見てて、あらためて当に怖いと思った。 今起きている危機的な事態、それが何をもたらすのかは、もちろん怖い。 だが、それよりも具体的に、いつ大爆発が起きるか分からない、しかも常時恐ろしい数値の放射線にさらされながら、そこで働いている、作業をさせられている人たちの感じている恐怖が、自分の身に感じられるように思えたのだ。 ぼくはもちろん、現在の福島原発のような状況はもちろんのこと、普段の原発のような危険のなかで働いたことなどない。 だが、これまで非常勤の色んな仕事をしてきて、補償のまったくない状態で危険の伴う労働をさせられる時の心境、またそれが今の社会では「当たり前」のことになってる、ということは知っている。 そういう労働の場では、危険を拒んだり選んだりするような自由意志が働く余地は、そもそもあまりない。自由意志が保証されるような条件がないのである。 今回の事態でも、

    死の強制労働から即時解放せよ - Arisanのノート
    smicho
    smicho 2011/03/19
  • ぼくが感じてきたこと、そして - Arisanのノート

    『親を介護するということ』と題した先日のエントリーのコメント欄に、tu-taさんが寄せてくださったコメントへのレスとして、「困難な現実のなかに身を置いている自分」という立ち位置から考えること、発言することが大事だと思うが、ぼくにはそういう自分の状況を自覚すること、意識することが難しいのだ、という意味のことを書いた。 もっと正確にいうと、「困難な現実のなかに身を置いている」ということは分かるのだが、それが「自分」というものと、はっきり結びつかない、ということである。 これは、自分の置かれている現実の困難さを、社会の構造的な矛盾とむすびつけて考えることができない、という意味ではない。社会に矛盾があること、是正されるべき、あるいは改善されるべき事柄があることは分かっている。また、そのことと、(自分が)身を置いている現実の困難さが、あるいはつながっているのかもしれない、少なくとも何のつながりもない

    ぼくが感じてきたこと、そして - Arisanのノート
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