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2009年7月20日のブックマーク (4件)

  • 小林秀雄 site:finalvent.cocolog-nifty.com - Google 検索

    2006/01/04 · 小林秀雄の古典的な主要著作については私は高校生時代にあらかた読み終えており、その後はぼつぼつと「居宣長」(参照)を読んできた。二十歳の青年だっ ...

  • 1970年11月25日三島由紀夫自殺: 極東ブログ

    11月25日といえば、三島由紀夫が自殺した日だ。そう言ってみて、自分でもふと戸惑うのだが、「自決」とも「割腹」とも言いづらい。確かに思想的に見れば、「自決」だろう。世の中、三島の死に「自決」を冠するのは思想的な意味合いを見ているからに違いない。あの日、佐藤栄作はたしか「気違い」と言っていた(ATOKは「気違い」を変換しないので登録した)。それからしばらくして、そのことを誰だったか、小林秀雄にご注進したやつがいたらしい。その気持ちはわからないでもない。小林ならなんというか聞きたかったのだろう。小林は簡素だが、三島に非礼なき返答したと記憶している。このことは、江藤淳もひかかっていたらしく、のちに対談で小林に問うている(「歴史について」S46.7「諸君」)。 小林 (前略)宣長と徂徠とは見かけはまるで違った仕事をしたのですが、その思想家としての徹底性と純粋性では実によくにた気象をもった人なのだね

  • 小林秀雄のこと - finalventの日記

    ざっと読んだだけでコンテクストがよくわからないのだけど。 ⇒橋治「小林秀雄の恵み」(2) - 日々平安録 こちらはスキーマティックなので理解しやすい⇒橋治「小林秀雄の恵み」(1) - 日々平安録 まあ、ただ、少し離れて、いわゆる小林と宣長のことということで、ちょこし。 以前にも書いたけど。 小林秀雄という人は、ちょっと私の強引な視点だけど、基的に西洋の枠組みでいえば神学をやった人。それを「身の丈」とか、「日常」とかいうため誤解される。けど、それは、いわゆる日常ではなく、近代合理主義や科学主義みたいにな世界観に対応している、人間の常識に潜む神学的信念の由来、根拠みたいなものであって、ある意味、フッサールの還元に近いものだ。またフッサールによる科学批判にも近い。 で、根幹には神秘的実在の明瞭な感覚があり、それは、実は小林の初期から一貫して流れている。 この問題は初期には女と罪の関係に表現

  • [書評]小林秀雄の恵み(橋本治): 極東ブログ

    治は直感から質をさらっと言ってのける頭の良さをもった人で、その直感から言い切りまでのプロセスを文章にするため冗長な印象もあるが、出てきた表明はコピーライティングのようにわかりやすいし、白黒つけやすい明快さがある。小林秀雄も直感から表出のプロセスを迂回して語る癖があり、表出も短く刈り込まれているため「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(参照)のように断片的に理解しやすいところがある。だがそんなものは無意味で、依然小林秀雄の文学の全体を読めばその表明は白黒つけがたく明晰さには迷路の複雑さがある。体力というのでもないのだが思念の持久力のようなものがないととても読み切れない。 思念の持久力というものがどのようなのかというのは、「極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山七平)」(参照)で触れた山の論考が参考になるだろう。小林がどれほど聖書を読み抜き、パウロを心に秘めていたか、そこを読み解くことの