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tvとbookに関するsmtpのブックマーク (6)

  • 本やTVとソーシャルゲームによる、可処分時間の奪い合い競争の行方

    ・TV・音楽などの既存の娯楽と、ソーシャルゲームに代表される新しい娯楽との間にある競争を、可処分時間の奪いあいという観点から分析する @fladdict さんのツイートをまとめました。 『読書の娯楽としてのポジションが「筋トレ」とかに近くなって来てる』との比喩がとてもしっくりきます。 また、娯楽としての読書をソーシャルゲームに学んで復活させるには?という問いも浮かんできて、非常に興味をそそられます。

    本やTVとソーシャルゲームによる、可処分時間の奪い合い競争の行方
  • 「知財立国」よりソフトパワー - 『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』

    の著作権はなぜこんなに厳しいのか 著者:山田 奨治 販売元:人文書院 (2011-09-15) ★★★★☆ 日政府は「知的財産立国」による産業競争力の強化を国策とし、首相を部長とする知的財産戦略部が特許や著作権の強化を進めている。その結果、著作権法違反には最高で懲役10年、罰金3億円という強盗なみの刑罰が科されることになった。 しかし日の産業競争力が高まった形跡はなく、著作権侵害の件数も減っていない。もっとも顕著な効果は、法的な紛争の増加である。ダウンロードの違法化やB-CAS、まねきTVなどのクラウド型サービスの違法化など、必要のない争いが増えてユーザーは不便になり、イノベーションが阻害されている。 これまでアメリカは、知的財産権の強化を求めるプロパテントの方針をとってきたが、最近の特許バブルともいうべき状況によってアンチパテントに転換し始めている。しかし日では、有線放送の

    「知財立国」よりソフトパワー - 『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』
  • 池上彰が開拓した鉱脈 - ゴムホース大學

    中学時代の後輩に最近なに読んでるですか?と聞かれたので『池上彰の学べるニュース』と答えるとハッピーセットのCM並みに驚いていた。 (ハッピーセット/アイムラビニッ)http://www.youtube.com/watch?v=ytHUb9U6i7I 彼は私が剣道部の部室で『フリードマン』『ハイエク』『アーレント』を読み、それを引用して日教組系社会科教師と遣り合っていたのを見ていたので今さら『池上彰』に手を出しているとは想像していなかったのだろう。それ以外のは?と恐る恐る聞いてきた彼に池上彰の『政治のことがわからないまま社会人になった人へ』『経済のことがわからないまま社会人になった方へ』と答えた。そして追加で『ガッツ石松でもわかる500円から学べるエクセル入門』と言ってやった。 池上彰という人物をどう評価していいの分からない人は多いと思う。地上波では引っ張りだこで、その為彼の書籍も売れてい

    池上彰が開拓した鉱脈 - ゴムホース大學
  • 2009-10-03 - 死んだ目でダブルピース

    島田紳助は、2007年3月に大坂のNSCで開催された特別講義の中で、売れるためにはどうすればよいかを、かなり具体的に語っている。以下、「自己プロデュース力」より抜粋。 まずは内側への発信 絶対、衣装は大切。僕が竜介とコンビを組んだばかりの時、年収が一年間七万円くらいでした。でも、その一年間でスーツを五着作った。金はないんですよ。 その頃は、まだテレビに出られてないよ。舞台にもほとんど出られてないから、まだファンもいない。じゃあ、誰のためにスーツを作ったか? 吉興業の社員に見てもらうためにです。やる気をわかってもらうためにです。「ええ? お前ら、またスーツつくったんか! お前ら偉いな、金ないのに!」って。 外へ発信するのは売れてから。まずは内側へ発信しなくちゃいけない。 余談ながら、これ読んだとき、とっさに銀シャリのことが頭をよぎったw 彼らはいつになったら売れるのかなー。 それはともかく

    2009-10-03 - 死んだ目でダブルピース
  • さんま、雑誌「本人」の独占ロングインタビューで激白

    このロングインタビューは、さんまがこれまでのキャリアを振り返りながら、「笑い」と「テレビ」について約120分間にわたって語り尽くしたもの。インタビュアーは北尾修一「人」編集長自身が務めている。 40ページ以上のボリュームとなる誌面は、注目の若手写真家・鈴木心による写真とテキストだけでシンプルに構成。「なぜ出発点に漫才ではなく落語を選んだのか」「『ひょうきん族』を振り返って」「タモリさんのすごさ」「自身の演技について」「2008年の『27時間テレビ』」といった話題から、さんま流テレビ論・バラエティ論まで、誰もが気になる“明石家さんまの頭の中”をのぞき見することができる内容となっている。 さんまが雑誌のインタビューを受ける機会はめったにないうえに、「テレビに出続ける理由」や「今後のバラエティ番組はどうなっていくと感じているか?」といった“直球”の質問に真正面から答えるのは長いキャリアの中でも

    さんま、雑誌「本人」の独占ロングインタビューで激白
  • 2009-04-13 - 死んだ目でダブルピース

    唐突ながら、明石家さんまの偉大さについて書いておきたい。 70年代の終わりにバラエティ番組「ヤングおー!おー!」で人気者となった明石家さんまは、1979年から1980年にかけて巻き起こった漫才ブームの勢いに乗って、東京に進出した。 さんまの漫談は、ネタとフリートークの境があいまいで、ネタそのものよりも、素のキャラクターが視聴者を惹きつけた。 当初さんまは、今でいうアンタッチャブル山崎のような「子分キャラ」を売りにしていた。ある時はビートたけしに対して、ある時はタモリに対して、「一生付いていきまっせ」と媚びを売りまくった。 当時の視聴者は、現実と地続きになっているノンフィクションの笑いに飛びついた。80年代は、それまでの「作り物の笑い」が否定され始めた時代であり、芸人はリアルな等身大の自分をさらけ出さなければ生きてゆけなくなっていた。練りこんだネタではなく、当意即妙の話芸で笑いを取ることを

    2009-04-13 - 死んだ目でダブルピース
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