前回の記事で、自分が疑っていたのは「直感的であること」ではなく、往々にして「直感的であるとされているもの」の方だった と書いた。「直感的であるとされているもの」には、さらに疑わしい点がある。 多様なのだ。「何が直感的か」は人によって異なるし、テストや実験によって最大公約数を導いたとしても、それをどう具体化するかは非常に多用だ。 そもそもインターフェースとは、体系内(一つのサイトや製品)で考え方に一貫性を持っていた方が望ましい。その点では言語に似ている。英語は英語という体系内においてそれなりに一貫性を持っているし、日本語だって同様だ。言語は「文法」と「語彙」というインターフェースを持っているといえるかもしれない。 この言語のインターフェースは基づいている考え方の体系にそこそこ一貫性があるから、ある言語が分かれば、(その言語による)初めて見る文章でも理解できるんじゃないだろうか。翻訳の文章が読