更新履歴 2008.01.12 アップ 私が最初に入社した富山市の地質コンサルタント会社に、当時私が20台中盤、40台後半のボーリングオペレーターがいました。その方をAさんと呼ぶことにしましょう。私は内業、その方は現場作業員というわけで、直接の上司というわけではなかったのですが、現場作業が多忙で内業が暇なときは、私はよく現場作業のお手伝いで二人一緒になりました(ボーリング作業は二人一組が基本)。 Aさんは中学卒業と同時に富山市へ出て、最初焼き鳥屋に就職しました。 その焼き鳥屋は繁盛し、Aさんが21歳のとき、「ファミリアロータリークーペ」を新車で買ったそうです。Aさんは、車には無頓着な人でしたが、このファミリアロータリークーペは、とにかく思い出深い車だったらしい。しょっちゅう「ファミリアロータリークーペ、よく走ったチャー」(語尾のチャーは富山弁)といっつも言っていました。友人を4人乗せて、