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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (4)

  • 『身体としての書物』今福龍太(東京外語大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「このは、歩きしゃべり耳を傾ける「書物」である」 「書物」のことをあまりになにも知らないし、買って読んだのこともほとんど頭に残っていないし、それでいったい私は「」の、何がどう好きだというのだろうと思うのだ。それでもやっぱり「書物」についてのは手元にしたくて、そしてたいてい読み終えたある時に、静かに後ろ手で書斎の扉を閉じられるような、そんな気分が残るのだ。 今福龍太さんの『身体としての書物』も、もくじに並ぶアルドゥス、ボルヘス、ジャベス、ベンヤミン、グリッサンなどの文字や、表紙カバーの袖に刷られた《世界のなかに私が住むこと。そして世界のなかに書物が存在すること。この二つの事実の偶然の関わりをめぐる、限りある消息をさまざまに探求することが、書のテクストとして再現された講義の目的であった。》にたちまちひかれてページをめくる。 だが読み終えて聞こえてきたのは扉を閉じ

    『身体としての書物』今福龍太(東京外語大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    snow8
    snow8 2009/05/07
    「優れた講義録は読者を聴講生にしてくれる。歩き、しゃべり、耳を傾けてくるからだろう」
  • 『ちょっと昔の道具から見なおす住まい方』山口昌伴(王国社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「消えたのに忘れることができない道具を巡って」 明治生まれのおじいちゃんの遺品を整理していた友人が言った。「おじいちゃんと一緒に暮らしていたころは卓に家族それぞれの箸箱を置いていた。大切にしていたんだけれど、いつのまになくなったんだろう」。私にとっては箸箱なんて子どものころにお弁当に持っていったくらいで、しかもたしかパティ&ジミー柄のプラスチックのものだった。という話をしたら、その家ではおじいちゃんが木でそれぞれの箸入れを手作りしてくれたのだと言う。大きさや柄もばらばらで名前も彫ってあったそうだからさぞや大切なものだったろうし、だからこそその家の特別に素敵な思い出だと思っていた。 山口昌伴さんが『季刊道具学』(道具学会)で連載していた「くらしの道具小事典・消えた道具たち——そして失ったもの」をまとめた『ちょっと昔の道具から見なおす住まい方』に、その箸箱が出てくる。山

    『ちょっと昔の道具から見なおす住まい方』山口昌伴(王国社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    snow8
    snow8 2009/02/23
    「ある道具がなかったころ、私たちはその道具によって暮らしをどう良くしたかったのか。そのためにどんな工夫を重ねていたのか。」
  • 『ある日の村野藤吾 建築家の日記と知人への手紙』村野敦子:編(六耀社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「手入れ人の記録」 2008年8月2日〜10月26日に東京・汐留の松下電工汐留ミュージアムで開かれた「村野藤吾——建築とインテリア」展は、「SECTION3 建築家の内的世界」に愛読書や日記、手帳も展示されていて印象的だった。ぼろぼろになったのなかには経済関係のものが多くあり、手帳には罫線を無視して隙間を埋め尽くさんばかりの字や図やグラフがあふれ、文字は読むに難儀で独特だった。これほどの密度の日記や手帳、ノートのたぐいが膨大にあるのに、まとまった著作は一冊のみ(2008年9月現在)というのは意外なくらいだ。 この展に合わせて刊行されたのだろう。建築家・村野藤吾(1891-1984)が亡くなるまでの20年の間に綴った手紙や日記の中から、写真家である孫の村野敦子さんが編み、ゆかりの地を訪ねて撮った写真を添えたのが『ある日の村野藤吾 建築家の日記と知人への手紙』だ。 知人

    『ある日の村野藤吾 建築家の日記と知人への手紙』村野敦子:編(六耀社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    snow8
    snow8 2008/11/27
    「高齢をおして旅を続けたのは建築家としての自身の手入れを怠るまいとしていたように思えるし、いつも図面を余白なく美しく丹念に仕上げたのはその建物が末永く手入れを受けられるようにとの計らいに思える」
  • 『漢字を飼い慣らす』 犬飼隆 (人文書館) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 日語が漢字という難物とどのようにつきあってきたかをふりかえったで、硬い言葉で言えば日語表記史である。「漢字を飼い慣らす」とは言い得て妙だが、著者の発明ではなく、恩師の河野六郎氏が講義でよく使っていた言いまわしだそうである。 日語表記史のは十冊以上読んでいて、内容の予想はつくつもりでいたが、書は違った。類書にない重要な視点が二つ盛りこまれているのである。 第一は漢字によって日語がどう変えられたかに注目している点である。これまでの日語表記史は、漢字をどのように日語に適応させたかという視点がもっぱらで、日語の方の変化は偶発的にふれるにとどまっていた。だが、書は漢字の日語化を「漢字の飼い慣らし」、漢字による日語の変容を「鋳直し」と呼び、漢字仮名混じり文の発展を「飼い慣らし」と「鋳直し」のせめぎあいの中でとらえているのである。 漢字が日語にあたえた影

    『漢字を飼い慣らす』 犬飼隆 (人文書館) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    snow8
    snow8 2008/09/30
    「日本語が漢字という難物とどのようにつきあってきたかをふりかえった本で、硬い言葉で言えば日本語表記史である。」
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