西部邁が死んだ、しかも自死だった。なるほど、と思った。 僕は西部の熱心な読者ではなかったし、彼の思想も好きだけど詳しくは知らない。ちゃんと読んで供養しなければ、と思うので図書館で『大衆への反逆』を予約したとこだ。 実は、僕は西部と少しだけ縁があった。会社員時代、一冊だけ担当したのだ。 その時いろいろ面白い体験をしたので、書き残しておこうと思う。なお敬称は略す。西部さん、というほど親しくないし、歴史上の人物に敬称を付けるのは却って失礼だと思うので。 ※ ※ ※ 当時西部邁は東大を辞して浪人中で、「朝生」ではスター論客だったが、財政的には不安定だったと思われる。だから思想言論に強くない光文社にまで声が懸かったのだろう。1990年の早春、彼の周辺の誰かの紹介でカッパ・ビジネス編集部と縁が出来た。テレビで人気だったので彼の本を出すことに問題はなかった。 だが西部という人そのものが問題だった。非