任天堂は、企業広報のX(Twitter)で、Nintendo Switch(ニンテンドースイッチ)の後継機に関するアナウンスを今期中(2025年3月までと思われる)に発表することを明かした。合わせて、2024年6月に行うニンテンドーダイレクトでは、Switchソフトラインナップの発表のみで後継機種に関しては扱わないことも発表した。
https://anond.hatelabo.jp/20240506061423 短歌の結社に入っていて、歌会にもよく参加していたことがあるが、元増田のような話は何度も聞いたことがある。もはや歌人あるあるネタだし、私も深く共感する。ただ、字数という点に増田はこだわっているようだが、この話題はそのようなレベルの話ではない。 多くの人は短歌と俳句が同じ短詩型文学であるから、短歌も詠めれば俳句だって作れるだろうと思いがちだが、それは大いなる誤解だ。むしろ短歌を詠めば詠むほど、俳句から遠ざかることになる。 なぜなら、両者は表現のアプローチが正反対だからだ。短歌は風景と言葉を使って<私>の情念を表す文学であるのに対し、俳句は<私>と言葉を使って風景を表す文学なのである。 短歌を詠むということは、言葉に情念を圧縮するということだ。穂村弘は短歌を爆弾に喩えたが、自分の情念を読み手の心奥深くに埋め込もうと
どうも、趣味で短歌をやっている兄ちゃんです たまに俳句を作っては思う 俳句って難しすぎない?ってね まずそもそも17音は短すぎる これを入れたいな、例えば美味しかったを入れようとする。おいしかったは6音 17音マイナス6音残りは11音、足りない 11音じゃすっごく足りないのだ 例えば私が好きなな短歌 「野ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた」 これだって吹きっさらしで7音 戦って勝つために生まれたにしては14音である 後半の14音だけでもう俳句のほとんどの音数を 使ってしまっている、だから短歌は長い 俳句は短すぎる それに季語が枷になるのもある 季語は5音、7音、それ以上いずれにしてもそこで まず音数を消費する。 装備枠が決まっているのに、必ずこれは装備しなければいけない状態なわけで そりゃ無季語俳句もあるにはあるけど、初心者がそんなことやったらただの川柳になるのは目に見
この記事は「ガールズバンドクライを見てないなんて!君は金曜の0時30分に何をしているんだい?」だとか「絶対好きになるから見てみなよ!」といった優しいオブラートに包んだ伝え方よりも、ガールズバンドクライという作品の持つ"怒り"という感情をリスペクトしている。 だから誰かに届いて欲しいというものではない。自分の正しさを証明する為のものだ。 ガールズバンドクライは最高だ。 でも世間の評価はどうだろう。中指を立てているシーンが印象的なのはもちろんそうだが、主人公の井芹仁菜のことを「ヤバい奴」「めんどくさい女」「異常者」などと奇異の目で見ている人が多い印象がある。 もちろん作品として面白さを牽引していくための要素としては必要だ。喜劇と悲劇は表裏一体であり、登場人物がシリアスであるほど行動が喜劇になることが多い。作品の作りとしては非常によくできているし、それで面白がってくれる人がいるなら作り手としては
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