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水が地面に染み込み、計画通りに貯水や給水ができない大蘇ダム。奥に見えるのが堤防=15日午前、熊本県産山村 「率直に言えば底の抜けたダムを造ってしまった」―。大蘇ダム(熊本県産山村)を建設している農林水産省の近藤基彦副大臣が地元説明会で頭を下げた。竹田市荻町などに農業用水を供給するためのダムが、本体の完成から四年を経ても計画通りに貯水、給水ができない状態が続いている。農水省は今秋までに水量確保策を示すとしているが、期待したダムに裏切られてきた地元農家との溝は深まるばかりだ。 600億円投入 十五日に竹田市荻町であった説明会。出席した農業者ら約二百人を前に、近藤副大臣は「常識で考えて大蘇ダムに計画通りの水利機能はない。完成には法外な金が掛かる。(例えば)さらに五千億円掛かるのなら、別のダムを造ったほうがいい」とまで言って、ダム計画の不備を認めた。 ダムは事業着手から三十年が経過。投
大滝ダム(おおたきダム)は、奈良県吉野郡川上村、一級河川・紀の川本流上流部に建設されたダムである。 国土交通省近畿地方整備局紀の川ダム統合管理事務所が管理する高さ100メートルの重力式コンクリートダム。伊勢湾台風による紀の川の大水害を機に紀の川の治水と、上流の大迫ダムなどと共に奈良市・和歌山市などへの利水、および出力1万500キロワットの水力発電を目的とした特定多目的ダム法に基づく特定多目的ダムである。計画以来地元の反対運動が激しく補償交渉が極めて長期化したほか、完成直前に貯水池斜面が地すべりを起こして対策に時間が掛かるなど完成までに50年の歳月を費やした日本の長期化ダム事業の代表格。2004年(平成16年)に利水目的の暫定供用を開始し、2012年(平成24年)6月に治水目的の供用が開始された。ダムによって形成された人造湖は、公募によりおおたき龍神湖と名付けられた。 ダム上部 ダム内部から
川棚川(かわたながわ)は、佐賀県・長崎県境の桃ノ木峠を水源とし、大村湾へ注ぐ二級河川である。流域は長崎県東彼杵郡波佐見町・川棚町に属する。上流の波佐見町域では波佐見川とも呼ばれる。 長崎県内の川としては延長4位・流域面積3位という屈指の規模をもち、大村湾流入河川では郡川(大村市)を上回る最大の川である。支流の石木川に多目的ダムを作る「石木ダム」計画は、長崎県・佐世保市・地元住民で賛否が分かれ、論議を呼んでいる(後述)。 佐賀県嬉野市・武雄市・長崎県波佐見町の境界となっている桃ノ木峠を水源とする。なお桃ノ木峠の武雄市域は六角川、嬉野市域は塩田川の流域となっている。 川棚川は桃ノ木峠から北の波佐見町域へ流れ出し、緩やかに西へ流路を変え、中尾川・村木川・長野川など多くの支流を集めながら波佐見町中央部の盆地を流れる。蛇行しながら流路を緩やかに南へ変え、支流を集め、用水路を分岐しながら川棚町へ入る。
この節には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2021年2月) 古い情報を更新する必要があります。(2021年2月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2009年10月) 日本の河川の歴史は治水と利水の歴史でもある。日本は国土が狭く、河川勾配が欧米の大河川に比べ極端に急勾配である。ゆえに降雨は短期間で海に流出する。このため水害の頻度が高いことは疑いの余地がない。逆に水不足に悩まされることも多々あり、全国各地で古来より水争いによる流血沙汰は昭和初期まで続いていた。これらを解決すべく戦後「河川総合開発事業」によるダム建設が盛んに行われてきた。しかし近年ではこうしたダム事業に対して様々な観点から意見が述べられるようになった。ここではその概略を記す。 2009年現在日本各地に建設
ダムの代替案(ダムのだいたいあん)では、ダム建設への代替案に対する内容を詳述する。 ダム建設に対して、リスク&ベネフィットやコストパフォーマンスを勘案し、ダムに代わり得る治水・利水案が事業者・反対派から提示されることがある。以下はその代表的な例である。 森林の持つ保水機能・水源涵養機能を十分に発揮することにより、ダムと同等の機能を備えることができるという意見がある。「緑のダム」と呼ばれるものがこれに当たり、ダム反対派が推奨している。 森林の有用性とは降雨を土壌に浸透させて水を蓄え、過剰な土砂の流失を防止して洪水調節をすると共に水分を涵養することで水源としての役割を果たす。実際一日の降水量が50mm以下の通常の降雨量であれば、その効力は最大限に発揮される。然し土壌が非浸透性の土質である場合や、一日100mmを超えるような豪雨の場合だと土壌中水分が飽和状態となり、地表を流下する。また、降雨初期
水没予定地の大津市上田上大鳥居町 公共事業見直しの機運の中、淀川水系においては近畿地方整備局が諮問機関である淀川水系流域委員会にダム事業の再検討を諮った。議論の結果、2005年(平成17年)に委員会は淀川水系で進められている大戸川ダム建設事業始め5事業(残りは丹生ダム建設事業・余野川ダム建設事業・川上ダム建設事業・天ヶ瀬ダム再開発事業)すべてを「中止が妥当である」という答申を纏めた。これを受け国土交通省は、大戸川ダムについて余野川ダムとともに建設中止する方針を発表した。 この答申についてダム反対派は歓迎の意向を示し、流域にまったく利害関係のない長野県知事(当時)の田中康夫も「淀川流域でも脱ダムすべきだ」として答申を支持した。 ところが肝心の地元・滋賀県や大津市がこの答申に対し「流域住民の安全を無視した答申」として激しく反発、ダム建設に伴い移転した住民も「自分たちの犠牲が報われない」として不
安威川は大阪府北部を流れ、神崎川に合流して大阪湾に注ぐ河川である。流域は古くから洪水に悩まされる地域であり、堤防築堤などの対策が採られていたが、1967年(昭和42年)7月に流域を集中豪雨が襲い、安威川は茨木市野々宮付近で決壊して61人が死傷し、浸水家屋は25,000戸におよぶという、全体で1,000億円以上の被害額を出す大水害に見舞われた。この北摂豪雨を契機とし、流域の茨木市・高槻市・摂津市・吹田市・大阪市の5市長がダムによる抜本的な河川整備を要求した。 また、高槻市から吹田市に至る流域は東海道新幹線や名神高速道路といった「日本の大動脈」が通過、大阪市や京都市の近郊に位置するためにベッドタウンとして千里ニュータウンをはじめとして多くの住宅造営が進み、人口密集地域となった。こうしたことから上水道需要の逼迫が叫ばれ、淀川に依存しない水源確保も行う必要性が生じた。こうして、当時の黒田了一大阪府
二風谷ダム(にぶたにダム)は、北海道沙流郡平取町、一級河川・沙流川本流中流部に建設されたダムである。 国土交通省北海道開発局室蘭開発建設部が管理する特定多目的ダムである。型式は重力式コンクリートダム、高さは32.0m。沙流川の治水と日高地域への利水を目的に建設されたが、建設に際し水没予定地に住むアイヌ民族との軋轢がダム建設差し止め訴訟にまで発展、アイヌ民族の先住性を問う契機となったダム事業として知られている。ダム湖は二風谷湖(にぶたにこ)と呼ばれる。 沙流川は日高管内において鵡川と並ぶ規模の大きい一級河川である。流域は競走馬の産地として知られる門別町などがあり、古くから競走馬が生産されてきた。しかしほとんど河川改修が行われない手付かずの原始河川であり、上流域は急峻な日高山脈であることもあって一挙に洪水が下流域に押し寄せ、水害の常襲地帯となっていた。戦後もこの状態が続き、競走馬の生産も活発に
御母衣ダム(みぼろダム)[1]は、岐阜県大野郡白川村、一級河川・庄川本流最上流部に建設されたダムである。 電源開発(J-POWER)が管理する発電専用ダムで、高さ131メートルと日本屈指の規模のロックフィルダムである。只見川の奥只見ダム、田子倉ダムと共に「OTM」の頭文字で呼ばれ、同社を代表する水力発電所の一つである。ダム湖は御母衣湖(みぼろこ)。水没予定地から移植された荘川桜のエピソードでも知られる。 庄川は太平洋と日本海の分水嶺に当たる烏帽子岳付近を水源とし、白山連峰と飛騨高地の山間を概ね北に向けて流れ、富山湾に注ぐ北陸地方における大河川の一つである。流域の大部分は山岳地帯で占められ、シベリアから吹く季節風によって冬季は豪雪地帯となる。また夏も台風の通り道になりやすく、全般的に多雨気候である。降り注いだ雨は険しいV字谷を形成する峡谷を急流となって流れ、日本海に注ぐ。急流で水量の多い庄川
下筌ダム(しもうけダム)は、大分県日田市と熊本県阿蘇郡小国町にまたがる、一級河川・筑後川水系津江川に建設されたダムである。 国土交通省九州地方整備局が管理をする国土交通省直轄ダムで、高さ98.0メートルのアーチ式コンクリートダムである。1953年(昭和28年)6月の昭和28年西日本水害による被害を受け、筑後川水系治水基本計画の一環として下流にある松原ダム(筑後川)と同時に建設された特定多目的ダムであり、筑後川の治水と日田市への利水、水力発電を目的としている。また、菊池川水系とトンネルによって貯水を融通している。 ダム建設に伴って繰り広げられた日本最大級のダム反対運動・「蜂の巣城紛争」の舞台としても知られている。ダムによって形成された人造湖は、蜂の巣城紛争にちなんで蜂の巣湖(はちのすこ)と命名された。なお、ダムの堤上には主要地方道の天瀬阿蘇線が通っている。 下筌発電所。ダム左岸の大分県側にあ
川辺川ダム(かわべがわダム)は、熊本県を流れる一級河川球磨川水系の川辺川上流、球磨郡相良村に堤体建設が計画されているダムである[1][2]。大雨が降った時だけ水を貯めて洪水被害を減らす流水型ダムとして予定されているが、湛水時の水没地域は相良村の上流に位置する五木村の旧中心部にも及ぶ[1]。 1966年(昭和41年)年の計画策定[1]から50年余りを経ても完成に至っていないため、群馬県の八ッ場ダム(吾妻川、2020年運用開始)と双璧を成す長期化したダム事業の代表格として知られていた。これは地元や球磨川流域、全国の環境保護団体などによる反対運動が続き、熊本県知事蒲島郁夫が2008年(平成20年)に白紙撤回を表明したためである[1]。 2020年に発生した令和2年7月豪雨で球磨川流域などで大きな被害が出たことをきっかけとして、同年11月に蒲島知事はダム建設推進へ転換[1]。2022年8月策定の河
八ッ場ダム(やんばダム)は、利根川の主要な支流の一つである吾妻川中流部、群馬県吾妻郡長野原町川原湯地先に建設された多目的ダムである。2020年(令和2年)4月1日より運用を開始した[2][3]。 形式は重力式コンクリートダムで高さは116 m。国土交通省関東地方整備局が事業主体[4]である。ダム湖は八ッ場あがつま湖と命名され[5]、神奈川県を除く関東1都5県の水がめ・利根川上流ダム群の一つとなる。 総事業費は約5320億円で日本のダム史上最高額となり、計画から68年を要した[6]。 八ッ場ダムは利根川の主要な支流である吾妻川中流部の吾妻渓谷に建設された多目的ダムである。ダム下流には八ッ場発電所が有り、ダムの放流水を利用して水力発電を行っている。満水時のダム湖(八ッ場あがつま湖)はダムから上流の白砂川合流地点にまで及ぶ。移転代替地はダム湖の周囲に新たに宅地造成する現地再建方式(ずり上がり方式
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