携帯電話の画面を他人から見えないようにガードするシールについてどうおもうかは、人によって意見の分かれるところである。人は弱さゆえ、ふと気がつくと、携帯の画面を隠すシールを買い求めてしまう。他人の視線が気になるのはやはり電車だが、たとえ携帯の画面を見られたところで、しょせんは知らない人だし、見られたからどうなんだとおもうこともある。しかし同時に、自分がこれから送ろうとしているメールの内容などを他人に見られるとなんだか恥ずかしいという気持ちも理解できる。 誰でも一度は、「きわめて深刻な内容のメールを送受信している他人」を目撃してしまったことがあるのではないか。わたしにもある。痴情のもつれと表現するしかない、かなりきわどい内容のメッセージを異性に送信しようとしている人を電車内などで見かけると、その送信待った! と心で悲鳴をあげてしまう。それほどに深刻で、愉快のかけらもないメールを送ったところで、
渋谷にて。初日。 今はただ、信じられないことが起こった、としか言いようがありません。
トルーマン・カポーティの小説に、死んだ妻の墓参りのために墓地を訪れた男性が、ふとしたきっかけから、たまたまその墓地にいた女性と会話になるという短編がある。墓地で見知らぬ女性から声をかけられるという状況にとまどう男性。作品を読み進めると、それは「妻を早くに亡くし、お墓参りにきている独身男性」をターゲットに声をかけ、結婚へ持ち込むべく婚活中の女性であった……ということがわかる。 これは、自分の目標に向かってターゲットをいさぎよく絞りこんだ、なかなかいいアイデアではないかとわたしはおもった。自分がなにを求めているかがはっきりしていなければ、こうした行動は起こせない。墓地という場所の選択にも意外性があっていい。短編では、女性のほんとうの意図があからさまになってしまい、婚活は失敗するのだが、こうしたアイデアはさまざまな場面で活用できるのではないだろうか。 弁護士を狙うなら、裁判所の近くにある定食屋さ
『エヴァンゲリオン』の監督である庵野秀明さんは、飲み会でとなりに座った女の子に自慢できるアニメを作りたい、という気持ちで『エヴァ』を作ったという。とてもいい話である。わたしはこのエピソードがすきだ。なんだか元気がでてくる。この話を聞いて、「そんな低次元の目標のために表現をするのか」「誰にどうおもわれようと関係ないのではないか」などと反対意見を述べるのは、さみしいことだとわたしはおもう。 それまでの庵野さんは、自分がアニメ制作者であることを恥じ、たまたまどこかの飲み会に参加したときに職業を訊かれたりすると、会社員ですなどとごまかしていた。このままではいけない。友だちに呼ばれた飲み会で、ぐうぜんとなりの席に座った、CLASSYを読んでそうなコンサバOL(26歳)にもちゃんと説明できて、なおかつ「見たらぜったいおもしろいから、今度見てね!」と胸をはっていえるアニメを作る。それが庵野さんの目標だっ
わたしの悩みは、会社の人たちが仕事でメールを使ってくれないことである。けっこう重要な伝達であっても口頭で指示がくることがほとんどだ。よってすべてこちら側でメモを取って復唱しないといけないし、なにより口頭なので記録が残らない。トラブルが発生したさい、言った言わない問題に発展する場合も多く、対策として、伝えられたことを箇条書きにまとめたメールを送り返して記録を残すようにする*1など、ほんらいであれば相手がやるべき仕事をこちらが引き受けるかっこうになってしまって実にめんどうである。これはどうにかならないものかしら。 それでも、伝達があるていど的確であれば、口頭でもかまわない。「やってもらいたいことは3つ。これとこれとこれ。期日はいつまで。よろしく」といったぐあいであれば、まちがいも起こりにくいし、こちらとしてもわかりやすく、すぐに取りかかれる。しかし、なんでも口頭で伝える人というのは、おおむね「
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