大日方純夫『警察の社会史』を読んだ。 以下、気になったところだけ。 実際には娼妓の自由廃業の前には、依然としてたかい塀がたちふさがっていた。 (略) 遊郭主と警察が結託して、廃業を願う娼妓がいると遊郭主をよびだして「示談」にさせたり、警察官が娼妓を「説諭」して廃業を思いとどまらせるなどということが多かったのである(吉見周子「売娼の実態と廃娼運動」) (33、34頁) 日本における「自由廃業」というものはこういうものであった。 特攻などにおける「自由意志」というのも、こうした文脈で考えた方がよい。 少なくとも戦前、今もそうなのかもしれないが、「自由」に自由が足りない。 日清戦争後の産業革命による紡績業の急成長は、労働力の不足をまねき、専業の紹介人や会社に属する募集人が、詐欺まがい、誘拐まがいの方法で女工を遠隔地から募集してきたという(中村政則『労働者と農民』) (65頁) 日清戦争あたりか