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Musicとreviewに関するsometkのブックマーク (2)

  • lightmellowbu presents 90年代シティポップ名曲ランキング best50 Vol.1 50位→26位

    シティポップ・AOR好きのディガー集団の共同ブログ。1986年~2006年ぐらいの年代のシティポップを紹介します。This is a collaborative blog by the Digger Collective of city pop and AOR enthusiasts, introducing city pop from 1986 to 2006. 今年も夏が来た。もしかしたら、今年は夏が来ないんじゃないかと思われもした。もし来たとしても、それは「夏」と呼べないなにかなんじゃないかとも。しかし、様々を通り抜けながらも、夏はこうしてやってき(てしまっ)た。 今や、シティポップが(当に)シティポップであった時代は、どんんどんと遠のいていくようだ。しかし、それだからこそ、その残り香は今一層芳しく感じられてならなくもある。先だって『レコード・コレクターズ』誌上で、「シティ・ポップ

    lightmellowbu presents 90年代シティポップ名曲ランキング best50 Vol.1 50位→26位
    sometk
    sometk 2020/08/13
    熱量を感じる。けれど、世代の違いなんだろうか、自分はあまり思い入れがないなあ。シティポップというとペガサスの朝とか80年代前半だし。
  • 國枝孝弘研究室

    この論考「作家と著述家」でロラン・バルトは、言語活動には2つのカテゴリーがあると述べている。一つ目のカテゴリーは作家(écrivain)。作家の仕事は「いかに書くか」を問うことであり、そのために作家はことば(パロール)を加工し、ことばを彫琢する。それが作家の役割であり、そのことばは文学言語となり、やがて文学言語は社会の中で規範化され(たとえば国語の授業で文学が使われる)て保護されてきた。 それでも作家は世界と関わらないわけではない。ただその関わり方には距離があり、またその距離によって世界に対して「問い」を発することができる。バルトは作家は「世界を揺さぶる力」を持ちうるとするが、その条件は「参加しそこない」である。参加するとは世界と直接関わりをもつこと、参加しないとは、世の中とは無縁に自室に閉じこもって美的な作品を描いているような「大作家」の態度である。そのどちらでもなく、すなわち世界と距離

    國枝孝弘研究室
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