福島第1原発事故の避難区域が広がる福島県の阿武隈の山里は、旧満州(現中国東北部)で死線をさまよった引き揚げ者が再起を賭けた開拓地でもあった。戦後既に68年がたち、苦難の歴史を語る人は少ない。旧満州移民と原発。2度も国策に裏切られ、暮らしを奪われた人々は避難先で何を思う。(福島総局・中島剛) <まず検査の列> 避難者は、まず検査の列に並ばなければならなかった。ガイガーカウンターが放射性物質の付着を調べていく。あの時もそうだった。すぐには入れなかった。いろいろと調べられてからだった。 2011年3月16日、二本松市東和の体育館。原発事故で福島県浪江町津島から避難してきた伊東千代子さん(83)に、遠い逃避行の記憶がよみがえった。 旧満州を逃げて耐えて1年3カ月。1946年11月にたどり着いた長崎県佐世保港で、船内に1週間留め置かれた。検疫を受け、殺虫剤のDDTを頭から掛けられた。 旧満州