ほんとは歌詞忘れてるんだよね?
不安性で中学校くらいには頭の中に岩でも入ってるような感覚と不安物質が常に排出されてて息苦しさと破裂しそうな不安感があった。 酒を飲んだらいつもは耐えられない周りの騒音も聞こえなくなって、相手の声だけ聞こえるようになった。 この脳みその鈍ってるような酔っぱらいの状態は驚いたことに健常者のデフォルトらしい。 健常者はこんなに頭がほやほやとしてるような状態なのか?正気か?と思ったがこれが酒なし酒による頭痛なしで常にあるなら羨ましい。 苦痛を感じにくく、思い出しもしにくい。内側から、外側から刺々しさを感じなくなる。 周りはそんな深く考えてないの感覚はこういうものなのか。 酔いも頭痛も取れた今は、また自分の頭に岩が、胸に引っかかりがあり呼吸が苦しい感覚が、常に現状否定から始まる焦らせてくる己の声が響くようになっている。まるで天国から地獄のエレベーターを手に入れたような感覚だ。
嫁側です。 長らくセックスレスだった。 私はしたかったのだが何となくしなくなり早数年。 旦那の事好きだしこのままレスになるのも嫌だったので先日思いきって言ってみた。 「前戯しなくていいからエッチしよ」 って。 それからというものの数年何の音沙汰もなかった性生活が復活した。 セックスしてれば喧嘩が起こらないって言うのも体感した。 この前旦那と飲んでる時に少し話をしたが、旦那の中で「別に前戯はしなくてもいい事」というのが非常に大きいらしい。 というか旦那の中でセックスとはきちんと前戯をして愛の言葉を囁き女を満足させないといけないという一種のプライドみたいのがあり、それがセックスレスに繋がってたみたい。 ちょっとだけしたい(入れたい)と思った事もあったが前戯が億劫で我慢した事もあった、だって。 なるほどって思った。 たかだか棒を穴に入れる行為自体そんな大層なもんではない。 そもそもこの先何十年も
SMというかSMの需給と関係性がわからない だってサディストって虐められて喜ぶ奴を虐めて楽しいの? あひぃッもっと責めて下さい!もっとォとか言われたいの? 言われたいんだとしたらそれってすごいサービス精神に溢れまくったいい人だしどっちが奴隷だよって感じだ サディズムとは相手の望む行為をして相手が悦ぶことで満たされる奉仕精神なのだろうか SはサービスのSって寺山あたりが言ってた気はするけれど でもなんというか偏見だけど虐められて嫌がる人を虐めるほうが楽しいのではないかと思ってしまう だからSとMが出会ってもM側の欲求のみが満たされてS側にはメリットがないんじゃないかと疑問 もしかしてスパンキングとかそういう行為自体や感触が快感だったりそういう行為に及んでいる自分自身が好きで相手の反応はどうでもいいんだろうか
結婚したからといって孤独がなくなるわけじゃあないんだな。 ちゃんと愛してるし愛されてるし、お互い浮気もなし、喧嘩もするけど仲直りもする。 けど流石にいつも一緒ってわけじゃない。同じ家にいても別々でいる事の方が多いかも。 いつもいっつも一緒にいる方が、離婚まっしぐらかもしれないね。 独り身の時は寂しいなんてあまり思ったことないけど、結婚してからは満たされた反面、たまの寂しさが身にしみる。 これ以上寂しくなりたくなーいという気持ちもまた、結婚を維持する努力に貢献してるというのは、情けないのかな。 自分友達いないのよ。今の御時世で贅沢な望みかもしれないが、伴侶だけじゃあ満足できないのね。 結婚できたら人生ハッピーハッピー即あがりならいいのに。 あーあーさみしーね〜。
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