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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (7)

  • はてなは変わるべきだ - ハックルベリーに会いに行く

    はてなは変わるべきだ。インターネットの理念だがなんだかは知らないが、自らの青臭い(それも旧弊な)建前に拘泥するあまり、それより大きくまた大切な何かを見失っている。それは社会の公器たる企業としての責任であったり、それ以前の人としての礼節だったりする。はてなは端的に言って無責任で失礼なのだ。ここは絶対に変えなければならない。また、はてなはそれ以前に怠惰で卑怯でもある。そこも変えなければならない。はてなが一番怠惰で卑怯なのは、ユーザーに管理を押しつけているところだ。その上で、何が起こっても見て見ぬ振りをする。知らぬ存ぜぬを押し通す。それは、一々対応するのが面倒くさいからだ。また責任を取りたくないからでもある。はてなは、基的には自らの青臭い理念だけを追求していたいので、余計な仕事は背負い込みたくないのだ。これではまるで、オモチャを出しっぱなしにしたまま片づけようとしない子供と一緒である。ペットを

    soorce
    soorce 2009/07/26
    うちのブログ名を文中で引用しながらもぶった切ってるのは何時修正してくれるのかね。はてなより先にポックルベリーさんの方が針刺されてアッアッて言った後ぶちまけられるか変わるかして下さい>d:id:aureliano:20081210
  • id:kaienさんへの返答と謝罪 - ハックルベリーに会いに行く

    id:kaienさんから返答のエントリーを頂きました。 id:aurelianoさんへの返答。 まずは重要な点だけ先に答えます。 つまり、「ここでいう「はてな村オタク」とは、自分の悪口をいっている人間のことだ」ということでOK?それとも、やはり「はてなのサービスを利用しているオタク」一般を指しているのだが、その代表がid:kanose氏らである、ということでしょうか? ここははっきりさせておいてほしいところです。もし前者だとしたら、巻き込まれて誹謗されたかたちになる無関係な「オタク」に対し、ひと言、謝罪の言葉がほしいところです。 ぼくの言う「はてな村オタク」とは、「id:kanose氏を初めとする、ぼくの悪口を言う人のこと」を指しています。『「はてなのサービスを利用しているオタク」一般を指しているのだが、その代表がid:kanose氏らである』ということではありません。しかしぼくの表現

    soorce
    soorce 2008/12/13
    >ぼくの悪口を言う人のこと<つまり、id:aurelianoさんに悪口、もしくはネガテティブコメント、あるいはブクマコメントを書かない人「はてな村のオタク」では無いと。ブクマしてもコメントしない人は村人ですらないと。
  • これは、いじめられるのはいじめられる側にも責任があるという意味なのでしょうか? - ハックルベリーに会いに行く

    トラックバックを頂いた記事――ぼくも始終ネガティブコメントをもらっているよ、と彼は言った - 未来私考のブックマークページに、はてなブックマーク - ぼくも始終ネガティブコメントをもらっているよ、と彼は言った - 未来私考こんなコメントがありました。kaien どうでもいいけれど、「始終」とは「いつも」の意味なわけで、いつもネガティブコメントもらっているならそれは人の責任としかいいようがないと思う。もしくは集団でいじめられているか。http://b.hatena.ne.jp/kaien/20081211#bookmark-11241772 これは、「いじめられるのはいじめられる側にも責任がある」という意味なのでしょうか? いや、むしろ「いつも」いじめられているならば、それは「人の責任としかいいようがない」と言ってるようにさえ見えます。 だとしたら、なんと無神経な言葉なのでしょうか。ここ

    soorce
    soorce 2008/12/11
    >いつも<1973年頃の話として「居合わせた女の子の八割かたがベルばら党だったのだ」(だっくす1979年12月号P36)という証言もあるので、その文章は「いつも」の参考になりませんね。まさか今でも、と思ってる?
  • ぼくも始終ネガティブコメントをもらっているよ、という話 - ハックルベリーに会いに行く

    トラックバックを頂いた記事の中に、興味深い一節がありました。 かんなぎ騒動で思い出したけど、池田理代子も「漫画を描くのを止めろ」という脅迫の手紙を受け取ったことがあるよ、と言う話(1979年、講談社Be-Loveより) - 情報中毒者、あるいは活字中毒 なんでも、池田理代子さんは昔のマニア――いわゆるオタク受けがすごく悪かったそうなんですが、かくいうぼくも、じつはオタクと呼ばれる連中には相当ブログの受けがよくないのです。なにしろ、彼らはまず大衆受けするという、そのことだけで、ブログ価値が低いと決めつけてしまうのですから……。たぶん彼らにはなにかしらチンケなエリート意識みたいなものがあって、“大衆”というものを軽蔑しているようなところがあるのでしょう。彼らに共通してるのは、例外なく、自分の感覚や美意識をぜったいだと思いこんで、そこから一歩も出ようとしない点です。好みや主観だけが、ものごとの価

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    soorce 2008/12/10
    /これ、ブログ名切れてるのは嫌がらせなのかしら。なんでそんな中途半端な切り方を。
  • 電車の中でマンガを読ませないようにしているのは実は出版社だった - ハックルベリーに会いに行く

    今日、アキバ系の聖地、マンガの総山のとらのあなに行ってきました。 そこで、ブコメで勧めてくれたマンガが多く載っている「アフタヌーン」を試しに買ってみました。 しかしこれは何なんでしょうか?付録なんて見たの、いつ以来かな…… それにこの厚さ。家まで持ち帰るのが重くて仕方ありません。 さらに、この表紙。 これはもはや……電車の中で読まれることを完全に拒否してますね。 電車の中でマンガが読まれなくなったのは、むしろ出版社がそれを拒否しているのだということが今日分かりました。読んだ感想については、読み終わったら書きたいと思います。

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    soorce 2008/12/01
    「電車の中で読むっていうんならキオスクでゴラクでも買えよwww」って突っ込んで欲しいんだろうからそう書いておく。/はて、キオスクでアフタらへんの月刊誌売ってるのかな。月刊マガジンくらい?
  • 面白いマンガがあったらぜひ教えてほしい - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくはマンガが好きだった。それは確かなことで、読んでる量でも誰にも負けない時期があった。それは短い期間(約1年)だったけど、その時期にうちの近くの屋で売られていた少女マンガ以外の全てのマンガ雑誌の全作品を立ち読みしていた。毎日だいたい2時間、日によっては4時間近くかかることもあった。今考えたら書店にとっては迷惑な話だったかも知れない。また今みたいに出版点数も多くなかったからできたことだ。しかしとにもかくにもマンガの知識だけではその時期はおそらく誰にも負けなかった。ヒマだからできたというのもあるだろうけど。 そういうぼくが今ではほとんどマンガを読まなくなったのだけれど、だからと言ってテレビを見ているわけでも音楽を聞いているわけでも映画を見ているわけでもゲームをしているわけでもない。何をしているかというと仕事をしているか人と話しているかネットを見ているかブログを書いているかだ。この4つにほぼ

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    soorce 2008/11/30
    >読んでる量でも誰にも負けない時期があった。<2006年以前に米澤嘉博氏よりも読んでいた時期があったならそう表明してみればいいんじゃないかな。2006年以降に、私よりも読んでた時期があったならごめんなさい。
  • 電車の中でマンガを読んでいるのは別の意味でみっともないと思ってしまう - ハックルベリーに会いに行く

    増田に、いい歳して漫画読んでるなんて、恥ずかしくない? という記事があったのだけれど、これを読んで、そう言えば電車の中でマンガを読んでいる人は当に少なくなったなあということに思い至った。 ぼくは今、毎日電車に乗って仕事場まで通っているのだけれど、最近は車内でマンガを読んでいる人というのをとんと見かけない。よく見かけるのはやっぱりケータイをいじっている人だ。一番はメールなのだろうけど、ネットを見たり、ゲームをしたりしている人もいるように思う。次によく見るのが携帯ゲーム機で遊ぶ人で、DSかPSPをやっている。これはけっこういい歳をした大人がやっている。普通の勤め人ふうの人がホームにいる時からやっていたりして、携帯ゲーム機が広く一般に普及しているというのがあれを見るとよく分かる。それからたまに新聞を読んだり雑誌を読んだり、あるいはを読んでいる人を見かけるのだけれど、マンガを読んでいる人という

    soorce
    soorce 2008/11/30
    携帯の方が軽く・長時間使える様になったからじゃないの?(漫画雑誌は厚く、重くなリ続けてる)携帯片手と雑誌片手の60分は違う。/この伝だと、文芸誌や廃刊した雑誌は「みっともない」からそうなったということに。
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