「前任者を何人も病院送りにしている先生」と組むことに 宮野さんが教員を辞めた理由は、表向きには「家庭の都合」だ。だが「やはり息切れ気味だったのだと思います。退職を決意したときにはホッとした気持ちになりました」と当時を振り返る。東京都内で約10年、小学校教員として勤めた。やりがいもあったが、とくに若手の頃は負担が大きかったと語る。 「授業以外の雑務、時間外勤務は若手がやるのが当たり前のこと。翌朝の出勤がどれだけ早くても、0時前に寝たことは教員生活の中で一度もありませんでした」 若手の頃の理不尽な思い出を挙げればキリがない。例えば、運動会の前日に雨が降ったことがあった。「開会前に、校庭の水たまりをスポンジで吸わなければいけない」という話の後、ベテラン教員は若手教員を集めて「わかってるよね?」と言った。そして学校の鍵のありかを告げた。つまり早朝に来て自分たちで開錠し、校庭の作業をしろということだ