『戦メリ』カンヌ狂想曲 ここで時間を1983年5月のカンヌ映画祭にもどすと、大島を筆頭に大挙してカンヌに乗り込んだ『戦メリ』一行だが、出発する成田空港で、思わぬ偶然が起きた。同じくカンヌに出品する今村昌平監督の『楢山節考』(83)の一行が鉢合わせしたのだ。大島と今村は同じ松竹大船撮影所出身で、大島が入社して最初に助監督として付いた作品でチーフ助監督と揉めた際、セカンド助監督の今村が仲裁に入り、新宿の屋台に大島を連れ出して慰めたこともある。そんな関係を持つ2人の作品がカンヌで対決することになったわけだが、今村は最初からカンヌに興味を示さず、不参加を決めていた。『戦メリ』が騒ぎすぎていたことから、今村は後輩の大島が受賞する姿をわざわざ見に行く必要はないと思っていた。 結局、『楢山節考』は東映のプロデューサー日下部五朗と、主演の坂本スミ子だけが参加することになったが、『戦メリ』と違ってカンヌで大