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ブックマーク / opio8.com (11)

  • 2021/12/19 - おぴお

    沮鵠(そこく) 覚える特殊能力 武将パラメーター 沮鵠(そこく) 沮 鵠(そ こく、生没年不詳) 袁尚の配下。建安9年(204年)春、袁尚は兄の袁譚を攻撃しようと図り、幕僚の審配に鄴を守備させ、沮鵠には邯鄲を預けて審配と連動させた。 まもなく曹操が鄴を攻撃してきたが、容易に陥落させることができないと見て、周辺地域の掃討へと作戦転換した。 同年夏、曹操軍が邯鄲を攻撃してきたため沮鵠も防戦したが、敵し得ずにまもなく陥落した。その後、沮鵠の名は史書に見当たらない。 小説『三国志演義』でも袁尚配下として登場し、審配の指示により邯鄲を守備する。 曹操軍の張遼が攻め寄せてくると、沮鵠は出陣してこれと一騎討ちをするが、3合もせずに劣勢となって逃走したところを、張遼に弓で射られ落馬し、死亡している。 wikiより 覚える特殊能力 【火計・同討・収拾・鼓舞・消火・速攻】 陣形 【鶴翼の陣】(かくよく) 平地

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    specific 2021/12/19
  • 2021/11/18 - おぴお

    厳輿(げんよ) 覚える特殊能力 武将パラメーター 厳輿(げんよ) 厳 輿(げん よ、? – 196年) 兄は厳虎(厳白虎)。 『三国志』の文中には記述がなく、裴松之が注として引用している『呉録』にのみ記述がある。 建安元年(196年)、厳虎は孫策が攻めてきた際に城の防備を固める同時に、厳輿を派遣して和平を求めた。 会談中に孫策は剣を抜いて席を切った。 厳輿が恐れおののくと、孫策は「あなたがとても素早く、座った状態から飛び上がることができると聞いたので、からかっただけだ」と言った。 厳輿は「私は剣を見るとそうなる」と答えたところ、孫策から戟を投げつけられ、避けられずに死んだ。 武勇に優れていた厳輿が死んだことで厳虎の軍は動揺し、まもなく孫策に打ち破られた。 小説『三国志演義』でもほぼ同様であるが、最期の場面では厳輿が「江東を折半しよう」と申し出たのに対して、「私と対等のつもりか」と怒った孫

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    specific 2021/11/18
  • 2021/11/09 - おぴお

    龐統(ほうとう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 龐統(ほうとう) 龐 統(ほう とう、179年? – 214年?) 道号は鳳雛(ほうすう)。 若い頃は口下手であまり身なりが冴えなかったことから評判を得なかったが、人物鑑定で有名な司馬徽に、その才能を認められたことでようやく名が高まった。 また人物鑑定に優れた傅巽にまみえた際は、半ば英雄であると高く評価された。 郡の功曹となり、後に周瑜の功曹をになった。(功曹:こうそう) 功曹:とは官職、人事のようなもので。能力を査定する。 周瑜が荊州を攻略して南郡の太守に任ぜられると、龐統は南郡の功曹になった。蜀攻略の途中に巴丘にて周瑜が病死すると、龐統は遺骸を送って江東に行った。 龐統は劉備の入蜀を決心させた。 劉備は涪で宴会を開き、酔っていた劉備は「今日の酒席は実に愉快である」と言った。 これを聞いた龐統は「他国を討伐中に、上機嫌に酔っておられるの

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    specific 2021/11/10
  • 2021/10/13 - おぴお

    趙雲(ちょううん) 覚える特殊能力 武将パラメーター 趙雲(ちょううん) 趙 雲( 160年代? – 229年11月) 子は趙統・趙広。父と兄の名は不詳。 もともとは公孫瓚の部下であったが、青州で袁紹と戦っていた田楷の援軍として公孫瓚が劉備を派遣した際、趙雲も随行して劉備の主騎となった。 建安13年(208年)、荊州の当陽県長坂で曹操自ら指揮を執る5000の兵に追いつかれた劉備は、子を捨てて逃走した。 この時、趙雲が劉禅を身に抱え、更に甘夫人を保護したので、二人は危機を免れることができたが、劉備の娘二人は曹純に捕獲された(長坂の戦い)。 この戦いの後、牙門将軍に昇進した。 (229年)、没した。子の趙統が後を継いだ。 清の史学者何焯は、趙雲が劉備に仕えた時期が伝と異なること、第一次北伐で降格された趙雲が褒賞を受けたのが不自然であることからその内容を否定し、「趙雲別伝とは趙家の家伝を改編

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    specific 2021/10/13
  • 2021/09/29 - おぴお

    管亥(かんがい) 覚える特殊能力 武将パラメーター 管亥(かんがい) 管 亥(かん がい、生没年不詳) 黄巾党頭目の1人。 【正史】 初平2年(192年)頃、黄巾軍討伐のために都昌へ進軍して来た北海郡の孔融を逆に包囲した。 しかしこの時、孔融に母の世話をしてもらっていた太史慈が、恩を返そうと孔融の下に馳せ参じた。 太史慈は、武勇と策略で管亥の包囲を突破し、平原郡の劉備に救援を要請した。 劉備が直ちに精鋭兵3千を救援に差し向けたため、管亥軍は散り散りに潰走した。 その後、史書に名は見当たらない。 小説・【三国志演義】 勇猛な黄巾党頭目として登場し、その軍勢の規模も数万となっている。 史実通り孔融を包囲した後、その部将宗宝を数合で討ち取っている。 しかし、やはり史実通り太史慈の要請に応じた劉備軍が援軍として現われたため、管亥は関羽と一騎討ちを繰り広げる。 管亥は善戦し、数十合も渡り合うも、最期

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    specific 2021/09/29
  • 2021/09/15 - おぴお

    楊鋒(ようほう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 楊鋒(ようほう) 楊 鋒(よう ほう)は、小説『三国志演義』に登場する架空の人物。 南蛮の銀冶洞(ぎんやどう)二十一洞の洞主。 諸葛亮に降り、孟獲、孟優、朶思大王のもとに偽って援軍として訪ねてくる。 喜んだ孟獲により酒宴を催されるが、宴に何も無いのは興ざめだと、楊鋒は連れて来た同族の女達に剣舞を踊らせる。 やがて孟獲達が酒に酔い油断し始めると、楊鋒は息子達と杯を献上する振りをして三人の側に近づき捕縛してしまう。 そして女達に宴席場を包囲させ、彼らの身柄を確保した後に、諸葛亮に引き渡すのである。 これにより朶思大王の禿竜洞は陥落する。wikiより 覚える特殊能力 【火計・同討・収拾・消火・伏兵・乱射】 陣形 【錐行の陣】 平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向

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    specific 2021/09/15
  • 2021/09/05 - おぴお

    滕胤(とういん) 覚える特殊能力 武将パラメーター 滕胤(とういん) 滕 胤(とう いん)【? – 256年】 諸葛恪が魏の討伐を行なおうとすると、これに反対したが聞き入られず、留守役として都下督に任じられ、職務に励んだ。その後、予想通り諸葛恪率いる呉軍は大敗を喫した。やがて、諸葛恪の専横に憤った孫亮や孫峻らが暗殺計画を企み、諸葛恪を斬殺し、その一族をことごとく滅ぼした。 滕胤は諸葛竦のの父であったため辞職を願い出たが、孫峻に拒絶された。 孫峻との関係は良好ではなかったが、表面的にはお互いに相手のことを立てるようにしたため、政治に混乱は生じなかった。また、爵位も高密侯に進んだ。 孫峻は幾度か北上して魏を討つことを計画した。しかし五鳳3年(256年)、滕胤や従者を引き連れ石頭の陣で諸将を見送る宴会を催した時、呂拠の陣で体調を崩し、そのまま急死した。 孫峻の死後、孫綝が侍中・武衛将軍に任命さ

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    specific 2021/09/05
  • 2021/05/22 - おぴお

    司馬攸(しばゆう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 司馬攸(しばゆう) 司馬 攸(しば ゆう、正始7年(246年) 太康4年3月14日(283年4月27日)) 司馬昭の三男で、伯父の司馬師の猶子でもあった。初代皇帝の司馬炎の同母弟。 他に同母兄の司馬定国(遼東悼恵王)と同母弟の司馬兆(城陽哀王)・司馬広徳(広漢殤王)らがいた。 しかし、みな早世してしまったために、 彼が長兄の司馬炎に次ぐ有力後継者になったという。 司馬攸は、物静かで穏やかな人柄で、賢士に親しみ人を慈しんだ。また、学問を愛して文章にも巧みであった。才能や人望は、兄の司馬炎に優っていたという。 武帝は荀勗の言葉を信じ、また馮紞の進言を容れて、太康3年(282年)に司馬攸を大司馬・都督青州諸軍事に任命した。 司馬攸はこの措置に喜ばず、「私は、時代を正すには用済みとなってしまった」と言った。また、荀勗の予想通り、武帝の叔父である

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    specific 2021/05/22
  • 2021/05/12 - おぴお

    程武(ていぶ) 覚える特殊能力 武将パラメーター 程武(ていぶ) 程 武(てい ぶ、生没年不詳) 父は程昱。弟は程延。子は程克。 『正史』での記述は、父の死後にこれを継いで曹丕に仕えた、とあるのみで、それ以上の記述は無い。 小説『三国志演義』では、夏侯楙の参軍として第92回に登場する。 蜀漢の第一次北伐を受け、韓徳を蜀将趙雲に討たれるなど苦戦する夏侯楙に対し、伏兵で趙雲を包囲して生け捕る策を進言する。夏侯楙はこれを容れ、一時は趙雲を生け捕り寸前にまで追い詰める。 しかし趙雲の援軍として関興・張苞が現れると、伏兵を率いていた部将の薛則・董禧らは討ち取られてしまい、夏侯楙・程武は大敗して南安へ逃れている。以後、登場しない。wikiより 覚える特殊能力 【火計・混乱・同討・収拾・消化・伏兵】 陣形 【鶴翼の陣】(かくよく) 平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこ

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    specific 2021/05/12
  • 2021/02/11 - おぴお

    沙摩柯(しゃまか) パラメーター 覚える特殊能力 沙摩柯(しゃまか) ドラマ三国志Three Kingdoms 第80話でも、沙摩柯の矢で程普を仕留めています。 甘寧というと呉の猛将で、【魏に張遼あれば、呉に甘寧あり】みたいな言い回しがあったような気がする、そのうち甘寧の記事も書くつもりなのでその時に明細を書こうと思う、顔は血を注いだように真っ赤で、碧眼を鋭いとwikiにもある、関羽も赤面の猛将ですね、上の画像の内容を読むにゴリゴリの武闘派という事はわかると思います。 そしてこのゲーム三国志5での内容は『三国志演義』での内容で、『三国志演義』というのは、正史の千年ぐらい後に書かれたもので 正史をベースにした小説である。 小説だから多少盛ってるんだよね、なので歴史書とするならば正史『三国志』では沙摩柯は少ない内容しか載っていない、というか一文のみのもです。 呉書陸遜伝(呉書13陸遜伝)で沙摩

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    specific 2021/02/12
  • 2021/02/12 - おぴお

    土安(どあん) パラメーター 覚える特殊能力 土安(どあん) 三国志演義 藤甲軍とは『三国志演義』第九十回に登場する軍隊。南蛮の地にある烏戈国の王、兀突骨(ごつとつこつ)配下の戦闘部隊。 その兀突骨(ごつとつこつ)の右腕が土安(どあん)である。 正史での記述はない。 藤甲とは 鎧など武具の事で、藤のつるで編んだ鎧や兜、盾などである。 刀も矢も受け付けぬ強靭さがあり、軽量で水にも強く、藤甲を着た兵士は、川も水に浮いて押し渡るという。 烏戈国(うかこく)の山野いたる所、山藤がはびこっているので、その蔓を枯らして後、油に浸し、また陽にさらしては油に漬け、何十遍かこれをくり返して、それで甲を編むのです。 軽量で水にも強く、藤甲を着た兵士は、川も水に浮いて押し渡るという。兀突骨は藤甲軍3万を率いて出陣、緒戦で蜀軍を大いに打ち破る。wikiより 刀も矢も受け付けぬ強靭藤甲と軽量で水にも強く移動にも使え

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    specific 2021/02/12
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